2013年11月09日

商社マンの仕事 − 世界級ランカーのくず鉄トレーダー (2) 

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 この興国金属との取引では思い出がある。
売上高を大幅に増やしたのはよかったが、当然売上金を回収しなければならない。しかし製鉄会社は、納入した鉄屑代金を現金では払ってくれない。

 通常は納入後90日払いとか、ひどい時には180日払い、さらには 「 台風手形 」 などといって210日払いになる。いわゆる信用取引だが、相手が倒産でもしたら債権の回収はできない。

 商社には取引相手ごとに信用供与の枠が定められている。相手の営業状態や財務内容に基づいて売掛残高の最高額を設定するが、その際担保も要求することになる。そして、しっかりした担保があれば、その担保額までは安心して売上を伸ばすことができる。

 興国産業の売上を伸ばしたのはいいが、社の審査部が設定する信用供与枠を超える事態になった。

「 ナンさん、興国の担保要りまっせ。与信限度超えてまっせ。 」 

「 心配すな、ワテに任しとけ、なんぼ要るんや、3億もあれば十分やろが、君は心配せんと、どんどん売上伸ばせ 」 

 「 ナンさん、担保なしではこれ以上売れまへんで、審査部から文句来てまっせ。もう2か月も経ってますわ。オレに任せとけって、偉そうにいうてからに。 」 

「 ヨッシャ、ついてこい、こんな話はな、スパッと出すんや、分かったか、よう見とけ 」 

 「 ナンさん、今日は担保の話やなかったんですか。ご機嫌さん、はいさよならでっか。担保のタの字も出さんとからに、ついて来い、よう見とけて偉そうなこと言うてからに・・・相手の顔みたら一言もよう言わんと帰ってきてからに。 」 

「 ばか、こんな話は、一度でできるか、興国の担保はな、みんな丸紅に入っているんだ。それを引き抜いて、住商に切り替えさせるんや。簡単にいくかい、アホ 」 

 クリスマスも終わり、年の瀬も押し詰まった寒い日だった。年末のあいさつも兼ねて、ナンさんと興国に出向いた。相手は専務の角野さん。そのやり取りは鮮明に覚えている。

 「 ナンさん、なんでんねん、ここんとこよう訪ねて来てくれはりまんな、こないだから、3度も来てくれて、ナンさんも帰りはるけど、なんぞ大事なことでもあるノンとちゃいまっか。 」 

 「 年の瀬も押し迫って何とかお取り込みとは存じますが、お察しのとおり、この南庄次、たってのお願いがござんす。 」 

「 ナンさん、担保の話でっしゃろ。 」 

「 よろしゅうおまっか、南がおたのみ致しますからには、少々、大きゅうおまっせ、3つでござんす 」 

「 3つ、でっか、1つなんぼの話やろか 」 
「 南庄次でござんす、ようごわすか、南がひとつと申しますれば、億でござんす 」 
「 3つで3億でんな 」 

 こんな具合で、冷や汗たらたら、何となく、波風たてずに担保の交渉は成功したが、実はその後、興国金属は倒産する。1975年のことである。この興国向け取引でしのぎを削りあった丸紅の永谷さんがニューヨークからメキシコに電話してきた。

「 おいギャング、興国がつぶれたぞ 」 

 永谷さんは興国の一件以来、私を 「 ギャング 」 と呼ぶのだが、彼とは取った取られたの仲。競争相手ではあったが、何か通じるところがあったのか、彼が丸紅のニューヨーク、私が住商のメキシコに駐在していても時たま連絡があった。

 この興国倒産のニュースにはこみあげてくるものがあった。命がけで取り組んだお客だった。経営者である角野一族にも随分と可愛がって頂いた。吉野の材木商から鉄鋼業に進出されたと聞いていたが、腰も低く、鉄屋独特の匂いがない。

 いかにも堺か吉野の商人のイメージで、どこか温かく人情味のある素晴らしい人たちだった。それが倒産するとは、経営は人柄だけではないのだと、いまだに感慨深い事件であった。

 住商には幸い、この担保のおかげで被害はなかったと聞いている。
 
 ( つづく ) 

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 
増井重紀氏 − 住友商事を出発点に、世界最大の鉄くず産出国アメリカで企業経営を17年。動きの激しい鉄くず相場、その針のムシロに悶えながら凄まじい現代鉄クズ戦争を勝ち抜き、ヒューゴ・ニュー・コーポレーションをアメリカ最大の鉄クズ輸出業者に育てた後、現在は新会社を設立。『鉄屑ロマン』 の著者。

( 引用: 鉄屑ロマン) 
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商社マンの仕事 − 世界級ランカーの鉄くずトレーダー、1965年 住友商事

 鉄クズ人生の原点、住友商事大阪本社原料課 1965年

 今から40年以上も前の商社マンのドキュメンタリーをお届けします。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 

 1965年、私は神戸大学法学部を卒業、住友商事に入り大阪本社に勤務した。運輸部輸入運輸課に配属され、輸入物資の通関・陸揚げ・輸送などの手続きを担当した。輸入する商品の一つが鉄クズだった。

 製鉄国日本にとって鉄クズは国内クズだけでは不足で、世界各地から輸入していた。米国、インド、そしてオーストラリアが主な仕入れ国。この大阪本社時代に、鉄クズのことをしこたま勉強した。

 わずか5年ほどの経験が、私を世界の頂点へ挑ませた礎で、わが鉄クズ人生の原点であった。
 
 住友商事大阪本社原料課には関西の鉄クズ業界きっての名物男がいた。南庄次さんで、14年前に他界された。ナンさんは小学校しか出ていないと聞いていた。生意気な新入社員の私が英語を使うのを気に召さなかった。

 「 おい、マスイちょっとこい。日本人なら日本語使って、鉄屑と言え。鉄屑という立派な日本語があるんじゃ。それをスクラップなんか言いくさって。 」 

 「 マスイ! カッパ−など英語使わんと、エエか、銅と言え、 “どう” と。昔はな、 “赤い鉄” と言ったんや。立派な日本語があるのん、知りくさらんか。 」

 「 マスイ! キサマ誰に電話しとるんだ! お客様には頭を下げろ。電話に向かって頭を下げろ。 」 と言って、私の頭を机に押しつけるのだ。電話の最中に。

 このナンさんが、大の酒好き。毎晩、 「おい、ついて来い」 と夜の “新地詣で” である。40年以上も昔の話だが、住友商事にもこんな人物がいたのだ。

 仕事はめっぽうできた。お得意先の製鉄会社から、強い信用を得ていた。三光商事という会社と住友商事が合併した際に、三光から来たと聞いていた。

 入社早々で血気さかんな私は、ナンさんにタテついた。これしきの男になめられてたまるか、文句があるなら仕事で勝負したろやないか。何が何でも見返してやろうと必死だった。

 ナンさんも、この若造の挑発的態度には目にものを見せたろかと、あらゆる無理難題を押し付けてきた。ほとんど取引実績のない会社の新規開拓を私に担当させた。

 興国金属もその一つだった。住友商事との取引実績はまったくなかった。
「 興国との取引商社の一番になってみせる 」 と、それこそ血相を変えて働いた。

 興国金属は堺にあったが、私は靴底がすり減るまで毎日堺に通った。大阪南部の鉄クズ業者を回って、何とか住商経由で興国金属に鉄くずを納入してもらおうとした。

 商社は、鉄クズ業者と製鉄会社の間に入って商売の仲介をする。これは商社の仕事の中でも最も原始的、基本的なことで、口銭商売とか中継ぎ商売と呼ばれている。

 鉄クズを扱う業者にも、それを使用する製鉄会社にも、従来からの取引商社があり、右から左に商社を鞍替えしてはくれない。

 そこえ切り込んでいくのだ。いままで取引のない住商と、新たに取引を始めてみようかと思わせなければいけない。だが、商社を切り替えさせるのは容易ではない。

 堺に中辻産業という老舗の鉄クズ問屋がある。ここが興国金属への納入業者としては最大手で、住商とは商取引がなかった。私はここを攻略の目標にした。だが、中辻の社長は簡単には会ってくれない。鉄クズ商売も足が勝負だ。

 中辻産業の工場の天井部には、大きなクレーンが走っていた。そのクレーンを運転しているのが小山さん。クレーンの操縦室は高い天井に張り付いている。 
 「 小山さん! 」 と下から大声で呼んでも聞こえない。

 私が下で待っているのは充分承知だが、なかなか下りてこない。ひどい時は、2時間も待たされた。それでもじっと辛抱して待った。

 興国金属に鉄クズを納入するには、どこか大手の鉄クズ業者を担ぎ出さなければならない。中辻産業は丸紅経由で興国に納入している。この中辻・丸紅ラインがしっかりと興国向けの商売を抑えこんでいた。

 取引先一番になるには、まずこのラインを切り崩さなければいけない。当時の丸紅は興国との鉄クズ取引では圧倒的に一番。どうせなら本丸から攻め落とそうと中辻詣でを始めたのだ。2年間、中辻産業に日参した。結果、住友商事は興国との取引商社の一番になった。

 13前になるが、三菱商事の企画で関西の主な鉄クズ業者さんがニューヨークを訪ねてきた。彼らとの会議と夕食会は楽しかった。そこで小山さんと会ったが、握手したまま、しばらくは声も出なかった。32年ぶりの再会である。

無言の会話が、すべてを語る唯一の方法であった。2年間通い続け、私は小山さんとそんな関係を作った。

 ( つづく ) 

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増井重紀氏 − 住友商事を出発点に、世界最大の鉄くず産出国アメリカで企業経営を17年。動きの激しい鉄くず相場、その針のムシロに悶えながら凄まじい現代鉄クズ戦争を勝ち抜き、ヒューゴ・ニュー・コーポレーションをアメリカ最大の鉄クズ輸出業者に育てた後、現在は新会社を設立。『鉄屑ロマン』 の著者。




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2013年09月25日

商社マンの仕事 − 三井物産

 三井物産、敗北体験や下働きを糧に商社マン育つ

 海外の病院経営や穀物生産などの新事業に挑む三井物産。強さの源泉は個性的で、我の強い個々の社員にあると業界内で評されてきた。先輩社員らは下働きに耐えつつ、顧客企業と真摯に向き合い、ニーズを深掘りすることで商社社員の真骨頂である交渉力を鍛え続けている。現場に判断が委ねられる「ヒトの三井」はこうして作られる。

 ”仕事のスケール感に醍醐味”

 入社2年目の強烈な体験が平井昭久さんを強くした。

 許されない敗北だった。ある調味料メーカーの担当になったとたん、ずっと独占していた原料供給の半分をライバル商社に持っていかれた。食糧本部糖質醗酵部の平井昭久さん(26)はこの日から別人になった。2011年、入社2年目の秋のことだ。

 震災直後ゆえにメーカーはこぞって原材料の複数購買に動いていた。ライバルはここを突いてきた。こっちもやっと仕事に慣れたころ、心のスキが生じていた。「打開策を洗い出して必ず実行しろ。後悔するなよ」。上司の喝が入り、どう巻き返すかを考え抜いた。

 そんなとき思わぬ追い風が吹く。ライバルがノンデリ(引き渡し不履行)を発生させたのだ。「何とか助けてほしい」。調味料メーカー担当者の声は上ずっていた。打開策を必死に練った後だけに準備は万全。船の手配、在庫の調整などシミュレーション通りに即応した。これが顧客に評価され、原料の供給シェアを全体の7割まで取り戻すことに成功した。

 トーマス・アルウィンさんは日本のインフラ技術を母国インドに生かす夢を抱く
 「マニュアル通り原料を届けるだけで満足しちゃダメだと痛感した。あれ以降、コストダウンの提案などを主体的に考えるクセがついた」。強烈な敗北体験が1人の商社マンを強くする。

 電力事業開発部で電力事業者のM&A(合併・買収)を担当するトーマス・アルウィンさん(26)はインドから立命館アジア太平洋大学に留学後、三井物産に入社した。「世界をまたに仕事ができる」と意気込んだが、任されるのは買収先の資産査定など先輩の手伝いばかり。「自分がどう役立っているのか見えず達成感がなかった」

 それでも腐らず帰宅後に会計や財務を学び、スペイン語のレッスンも始めた。そんな姿勢が周囲に認められ、出資したメキシコの風力発電所への出張許可が2月におりた。

 幅80メートル、高さ60メートルもの巨大な風力発電が82基も連なる。その姿にただただ圧倒された。「自分の携わった仕事はこんなに大きかったのか」。商社の醍醐味を感じた瞬間だった。

 4月からM&Aに必要な資金調達に関する業務も担当、銀行とのやり取りを任されるようになった。日本のインフラ技術を母国に生かす夢の実現はまだ遠いが、商社マンとして一歩一歩前に進んでいる。

 ”幹部の鋭い指摘に学ぶ”

 鉄鋼製品本部の関口直央さん(25)は3月まで2年間、本部長の頭脳となる業務部で会議議事録など資料づくりを地道に続けてきた。ある投資案件を審査する会議で書記を務めていた時のこと。「提携相手のワンマン経営者が20年後に亡くなったら我々との関係はどうなるんだ」。経営幹部の鋭い質問に圧倒された。

 幹部はどんな指摘をするのか。定量的な収益計画だけでなく、定性的な投資意義をどうプレゼンすればいいのか。「現場が提案した投資案件がどういう会議体を経て承認され、会社の意思決定がどのように進むのかよくわかった」

 4月から悲願の営業現場に配属され、油井管のインド・パキスタン担当となった。両国の政府系エネルギー会社の入札に繰り返し参加し、6月に初成約を勝ち取った。今はまだ業務部で得た経験を生かすチャンスはないが、その日は必ず来ると信じている。

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 商社、貿易業務を再評価

 総合商社は三菱商事、三井物産などの大手5社に豊田通商、双日を加えた7社で構成する。収益の源泉はかつての貿易業務(トレーディング)から事業投資に移っている。

 ただ、投資ばかりだと、産業界のニーズを読み取り新事業を生み出す力が低下しかねないため、最近は顧客に密着するトレーディングを再評価する動きも出ている。

 三井物産は天然ガスなどエネルギー・資源分野では有望な権益を多数保有する。足もとの収益も資源の依存度が高く、今後は非資源分野のテコ入れが課題だ。総合商社で唯一手掛けている海外での病院事業は打開策の一つといえ、事業の成長力は他部門を圧倒する。そのほか海外での食糧生産・集荷事業も注力分野と位置付けている。

 (引用: 日経産業新聞 ) 

 【 総合商社図鑑 未来をつくる仕事がここにある 】


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2012年09月09日

商社マンの仕事 − 丸紅、広報部 スミス多美里

商社マンの仕事 − 丸紅、広報部 スミス多美里

 彼女の担当は、丸紅グループ社内報。そのウェブ版をおととしの立ち上げ以来、ほぼ毎日欠かすことなく更新している。

 丸紅の広報部には、報道課、CSR・地球環境室、企画課があり、彼女の属する企画課では、ウェブ版の他にペーパー版の社内報も制作している。

 社内報。そこには多分に内向きなイメージがあるが、彼女いわく、 「 まるで違う 」。
丸紅の拠点は、世界68か国120拠点。南極以外の全大陸を網羅する。

 さらには、ひとつの拠点の中でさえ、 「 通路を隔てた隣の部署が何の業務か分からない。 」 というジョークがあるほど事業内容もさまざま。国も文化も取り込む事業を極めて多様な3万2千人ものグループ社員に、正確に経営メッセージを伝えること。

 それが使命である企画課のメンバーには、たしかに人並以上の積極性が随所で求められることだろう。

 去年スミスはグループ会社のCEOらに取材するため、アメリカに渡った。6都市を1週間でまわる過密スケジュール。限られた時間を有効に使うため、前もって資料を読み込み、日本の関係者からも話を集めた。

 そしてその限られた大事な時間だからこそ、彼女は極力ていねいに、世間話や無駄話をしたのだという。それをやらないと、取材後にまとめる文章がいかにも事務的で痩せたものになってしまうからだ。

 決して目立たないけれど、日本の生活の基盤を担う商社の仕事。社内報があることで、すべての社員が自分の仕事や自分の会社を、もっと好きになってくれたら嬉しい。

 彼女は素直な物言いで、仕事への想いを語った。最後に、丸紅社内報のペーパー版が日本経団連推薦社内報 「 優秀賞 」 を、ウェブ版が同 「 総合賞 」 を2年連続で受賞したことを付け加えておく。

 丸紅株式会社 http://www.marubeni.co.jp


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2012年06月25日

商社マンの仕事 「 そこに暗闇がある限り 」

   「 そこに暗闇がある限り 」 丸紅、海外電力プロジェクト第四部、小笠原夏雄の仕事 

 中東の国、カタール。その首都ドーハから少し離れた砂漠の中に、小笠原の働くメサイード火力発電所がある。

 丸紅はこの発電所の建設から運営までを担い、発電した電気を電力公社に販売している。この一連のプロジェクトをIPP ( Independent Power Provider ) 事業という。

 世界21カ国に展開する丸紅のIPP事業は、他の商社の追随を許さない圧倒的首位である。

 入札で競合に勝つ。そのためにはお客さんである電力公社にいくらで電気を売ることができるか、その売電価格が勝負となる。安い価格を提示するには、プロジェクト全体のコストを下げるしかない。

 銀行や共同出資者との交渉も一筋縄ではいかないが、なかでも、コストを大きく左右する建設業者との価格交渉はつねに困難の連続である。怒号が飛び交うことすら決して珍しいことではない。

 でもそれは、プロの駆け引きであり、戦略のひとつだという。

 小笠原の専門は財務管理だが、 「 何でも屋 」 を自称する彼の仕事はそこに留まらない。巨大な発電所を運営するためのマニュアルを作ることもあれば、契約条件を確認するために政府高官と会合を持つこともある。

 一方で彼は新規のIPP案件にも参加。東京とロンドンにいるチームとともに、中東、欧州、アフリカを担当し、すでに次なる成果も上げている。

 カタールが消費する電力の4分の1を供給するメサイード発電所。国のライフラインを支える仕事だ。学生時代、途上国の発展に貢献したいと考えていた小笠原。

 アフリカで商社が仲介したというダムを見て、ボランティアではない 「 ビジネスによる支援 」 に大きな可能性を感じたという。電気が当たり前でない国に電気を供給する。

 そうすることで人々に、この広く大きな世界を知るきっかけを提供したい。彼はもうその夢の只中にいる。

 ( 引用: 日本経済新聞 ) 

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2012年01月12日

英語の次は新興国語

 商社やメーカーで、社員がロシアやブラジル、アジア諸国など新興国の言語を習得するのを後押しする動きが目立つ。

 企業が成長を維持するうえで世界各地の市場を開拓することがより重要になり、英語以外を使える人材を育てる必要があるためだ。

 キャリア形成に役立つと考える若手も、各社の制度を利用して新興国の言語に挑戦している。

 三井物産は入社3〜7年目の若手を 「 海外修業生制度 」 で2年間、海外に送り出している。

 前半1年は言葉を学び、後半1年は現地法人で研修する。直近3年間では計約25か国に派遣したが、重点を置いているのが中国、ロシア、ブラジルの3か国だ。

 首都に限らず様々な都市に社員を送り込んで、現地の文化や歴史も含めて学ばせている。三井物産のロシア関連事業は資源エネルギー分野が中心だが、今後は消費財分野も強化する計画。

 為替などの担当部署にいた渡辺大介さん (29) も 「 ロシア関連ビジネスに関わりたい 」 と、2011年7月からイルクーツクに滞在。週5日、大学でロシア語の文法や会話を学び、休日も自習に精を出す。

 丸紅は 「 語学研修制度 」 で、毎年20代の社員を原則として英語圏以外に送り出している。

 1〜2年は社業を離れ、語学習得に専念してもらう仕組み。半分強が中国だが、同社の重点地域の1つである南米に行く人もいる。

 松原康真さん (26)はブラジル南部のクリチバで4月からポルトガル語の研修を受けている。もともと穀物の売買担当。各国のトレーダーとのやりとりは英語と売買ルールの知識を駆使すれば支障はなかった。

 だが 「 市場に入り込むには現地の言語を習得し人間関係を築くことが必要 」 と、ブラジル行きに手を挙げた。

 ブラジル人との交流に不自由しないレベルを目指し勉強に励んでいる。

 ( 引用: 日本経済新聞 ) 

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