2016年07月22日

商社マンがモテる3つの理由

  就活生に人気の高い「商社」業界について。

  男子就活生のみなさんは、面接で「御社の成長性と社会貢献度に惹かれ…」「社員の皆さんの熱さ・真摯さに憧れ…」など、頑張ってひねり出した志望動機を言っているかもしれませんが、なんだかんだ「安定して、給与がよくて、モテる企業がいいなぁ」と思っているのが本音ではありませんか?そう思っている方こそ、ぜひ商社を受けるべきです。


 「どの企業がモテるか」を定量的に評価する方法として、「合コンでの評価」があります。
週刊SPAの2010年度合コンランキングでは、やはり商社が上位にランクインしていました。

順位
BEST

1位 ニッセイアセット 伊藤忠商事
2位 新日本監査法人 総務省
3位 モルガン・スタンレー 住友商事
4位 NTTコミュニケーションズ リクルート
5位 建築士 丸紅
6位 デロイト・トーマツ 三井物産
7位 日本航空 日本テレビ
8位 メリル・リンチ 三菱商事

 記事内で女性陣が語る「接待慣れしていてサービス精神が旺盛」「気取ってない感じがいい。電話してきては、次の誘いをたたみかけてくるバイタリティがすごい」というコメントからも、商社マンの勢いを感じることができます。


 では、なぜ商社マンはモテるのでしょうか?
その主な理由は、以下の3つにあると考えます。

 圧倒的な高給

 「商社マン=高給」というイメージ通り、商社は日系企業の中でも、常に給料ランキングの上位に顔を出しています。現在、サラリーマンの平均年収が約400万と言われているなかにあって、総合商社の平均年収は約1200万。なんと約3倍もの給料を得ているのです。


 「高給といえば、外資系じゃないの?」という反論もあるでしょう。

  確かに、初任給やその後の昇給を見ると、外資金融・コンサル系企業の名前が目立ちます。
しかし外資系は「Up or Out」といって「結果を出さなければすぐに首が切られてしまう」というリスクがありますし、福利厚生面で優れている企業は日系の方が比較的多い印象。

 日系企業の商社は、人をじっくり育てる文化があるうえ、たとえ本社で結果を出せなくとも、子会社出向という形で職を用意してくれます。かつてのような終身雇用ではないとはいえ、急にリストラされるリスクはほぼ無いと考えていいでしょう。

 外資系企業で活躍し、商社以上の給料を得ている方もいらっしゃいますが、首を切られるリスクを考えると、商社の方が安定して稼げるのが実情です。その余裕を女性も感じ取り、外資系エリートよりも商社マンに惹かれているのかもしれません。

 ”人間関係構築のプロフェッショナル”

 商社は業務上「何も持たないからこそ、人が大事」と、就活時もよく耳にしたものです。
この言葉に表されるように、商社では人脈の広さが非常に重要で、「異業種交流会」の話も多くなります。

 また海外で活躍する商社マンは現地で強固なコネクションを作る力が必要とされます。
 
  与えられた環境からしっかりと強い関係を構築し、その後のビジネスに繋げられるかどうかで出世のスピードも変わってくることから、商社マンが人当たりよく、話もうまいのはある意味必然です。そうでなければ生き残っていけません。

  日々人間関係を構築しつづける商社マンからすれば、女性と楽しく飲むなど朝飯前です。
デスクワークやミーティング中心の外資系エリートよりも、対人コミュニケーションについては1歩上を行っているのかもしれません。

 単純に肩書きが良いことも理由として挙げられます。

 女子大生でもOLでも絶対に名前を知っている会社ですし、「高給」「ノリがいい」「結婚できたら一生安泰」などポジティブなイメージのある企業なので、これも当たり前といえば当たり前でしょう。

 対して、外資系企業は一般まで広く名が知られることは少ないように思います。

皆さんの中にも、就活を始めるまでは「マッキンゼー?モルスタ?なにそれおいしいの?」状態だった方もいるのではないでしょうか。

  外資系コンサルファームに内定した筆者の友人も、「名前を知らない企業だから」という理由で家族に激烈な反対を受けていました。

 商社は長い歴史もありますし、何より日本を支えてきた会社です。
たくさんの人にモテても不思議ではないでしょう。

 終わりに

 高い給料・女性からの人気・グローバルに働ける・若くして関連会社社長になるチャンスもゴロゴロしている…。

  商社は就職先としてとても魅力的です。
外資系の企業を受けて「自分はちょっと外資向きじゃないかも…」と考え出した就活生のみなさん、ぜひ商社も選択肢の1つとして考えてみてはいかがでしょうか。

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posted by ヒデキ at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 商社マンの仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月04日

就活生に贈る (2)

 前回につづき、4月から就職活動を始めた大学生に、熾烈な就活を勝つコツを連載でお知らせします。

 「就活で効率の良い情報収集」

 たとえば、あなたが三井住友銀行に就職したいとき、どこを検索すれば良いでしょうか。
会社のホームページを見ることですね。そこには会社の概要から、経営者の挨拶から業績から、商品、サービスや、採用方法から、社会貢献活動にいたるまで、掲載されています。

 ところが、企業のホームページには、今のことしか分からないという欠点があります。過去にさかのぼって知ることは出来ないわけです。また、1つのサイトで1社のことしか分からないという欠点もあります。

 そんなときに力を発揮するのが、志望企業の記事検索をインターネットですることです。その企業の活動内容が時系列でみられるほか、検索結果には業界の動きを記した記事まで出てくるでしょう。

 「あなたはなぜ当社を志望したのですか?」 と、面接官から聞かれたときに、たいていの人は就職四季報か、企業のホームページを見て考えた志望動機しか語りませんが、企業のニュースクリップをネット検索してその企業の活動状況を把握しておくことは強力な武器になります。

 それがそのまま志望動機に使えるのです。たとえば、総合商社志望の学生でしたら、ブログ “総合商社の世界” をクリックすると、7大商社の過去6年分の記事が会社別に出てきてとても便利です。 http://sougoushousha.seesaa.net/

会社記事検索をして、具体的な業務内容まで触れて志望動機を語ると、あなたのヤル気が前面にアピールできてとても協力です。

 また、質問の時間に 「今朝、御社の商品記事に関するニュースを読みました。今後、どんな市場を開発するのでしょうか?」 といった具体的な質問を面接官に投げかければ、あいまいな志望動機しか語らない学生とくらべて大きな差をつけられます。
 
 2 “自己分析は自分で出来るか”

  あなたは自己分析を自分で出来るだろうか?
 人事部が見ているのは、 「自分のことが分かっているか」(自己認知) です。自分のことが分かっているというのは “成長のベース” になります。

 自分が分かっていないと
 〇 成長しない
 〇 チームプレイが苦手
 〇 空気が読めない

 という弊害があります。でも、ほとんどの人は人の力を借りないと自己分析ができないでしょう。自分の長所は分かっても、短所は案外わからないものです。そして、自分の短所など、周りの人はあなたに気兼ねして語りたがろうとしません。

 自分を知るためには、たとえネガティブなことでも相手から指摘してもらえるよう、批判も受け入れる姿勢を持つことです。怒ってはダメです。

 そして、あなたの長所と短所を具体的な例を用いて説明できることが大切です。
何をしてきたか、長所が何を実現したかという具体的なエピソードを集めて来て書き出しましょう。

 抽象的なことを自己紹介で語る学生はダメです。 「私はストレスに強いです」 「私はネアカです」 と言ったところで、具体的なエピソードの裏付けなければ、信用されないからです。

 面接に呼ばれる前に、この辺は事前準備をしておきましょう。

 また、数字にできることは出来るだけ数字を入れて説明することです。よく学生はアルバイト体験を自分の社会経験として語り、そこから自分の長所をアピールします。

 ところが、具体性に欠ける学生が多いのです。
「飲食業界でバイトをしていました。」 と言ったところで、それがファミレスなのか、居酒屋なのか、カフェなのか分かりません。

 「スタバでバイトをしていました。大手町のスタバは、朝方はxxx人のお客様をさばくので、私はxxxして接客業務をこなしていました。」

 と、具体的な店名や数字を入れて話すと、あなたの話が活き活きとしてきて、面接官との間に会話が生まれます。そこが相手に印象を与えるコツなのです。

 (つづく)




posted by ヒデキ at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 商社マンの仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月19日

転職の技術 (1)

 僕が外資系金融で4回転職した際にに学んだ ”転職の技術” を連載します。また、下記に外資系企業の中途採用情報を開示します。関心のある方には、ヘッドハンターをご紹介しますのでご連絡下さい。

 コメント欄にハンドルネームと、Eメールアドレス欄にコンタクト用アドレスを入れて下さい。追ってこちらから連絡致します。Eメールアドレス欄はブログ管理人しか見られないため、個人情報の機密は守られます。

 突然のリストラで職を奪われることになりました方々の転職の成功をお祈りしております。転職の技術、外資系企業の中途採用情報は、今後も連載します。

 1. 面接は会話のキャッチボール。長く話しすぎるよりは、簡潔に話して相手にも質問をさせる。

 2. 姿勢が前のめりにならないよう気をつける。背筋をピンと立てて座ること。

 3. 話は淡々とするよりもインパクトをつけて、メリハリをもつ。

 4. 目をそらすのは良くない。直接目を見る必要はないが、相手の目の外周部を一周するような感じで視    線を投げていく。(直接目を見ないのであれば、自分も緊張しない。) 
    絶えず笑顔を見せて相手に好印象を与える。

 5. 口ごもらない。滑舌を良くしてエネルギッシュなところを見せる。

 6. ヤル気にみなぎっているところを出す。

 7. 面接の勝負は、応募者が帰った後に残存感が部屋に残るかどうか。残存感が出るように面接のコンテンツをあらかじめ描く。

 8. 志望動機はネガティブなものでなく、ポジティブなものにする。

   「 御社のファンなのです 」 
   「御社の業務を行うことで社会貢献ができる」 という姿勢を強くアピールする。

 9. 自己紹介は1分で。レジメの繰り返しをするのは時間の無駄。話が長くなる。

 10. 面接は終始強気でいく。「お恥ずかしながら」 といった謙遜は禁句。
   面接に謙虚さは危ない。自分の活躍できる場なので、仕事においては優秀だったことをアピールすべ    き。 「ちょうど良いタイミングだと思い、決断しております。」

 11. 退職理由は簡潔に言う。延々と話すと、言い訳じみて聞こえる。ポジティブに。より利益貢献や社  会貢献できるところを探している、と言うと前向きに聞こえる。

 「なぜ今の会社では出来ないか?」 を説明すること。今回も前向きに転職を考えていることを相手に理解 してもらう。 「それが私の信念であり、誇りであるからです。」

 外資系企業中途採用情報 

 ●  欧州系銀行 個人富裕層営業

 ●  欧州系銀行 貿易金融担当

 ●  外資系資産運用会社 債券ポートフォリオマネージャー (30代、40代)

 ●  外資系資産運用会社 業務部 部長 クライアントサービス 

 ●  日系不動産会社 女性の執行役員候補 40代から50代、英語力必要 
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2015年02月03日

商社マンの仕事 ”彼女が最前線に行く理由”

 太田麻耶、 伊藤忠商事 機械カンパニー 

 「水からロケットまで」 を商う総合商社。その仕事場は、この地球上のすべてと言ってもいい。たとえばグーグル・アースのような視点で、世界中で働く伊藤忠の商人たちの姿を想像してみてほしい。その視点をアルジェリアで固定してズームすると、彼女が見えるかもしれない。

 機械カンパニー、自動車第一課。中東とアフリカに自動車を輸出する課に所属する。アルジェリア、モロッコ、ガボン、コートジボワールなどフランス語圏の担当だ。入社6年目。
 
 毎月、1週間は海外へ出張する。母親はフランス人。旅行が好きで、ふだん旅では行かない国で仕事をしたいと思ったのが、総合商社を志望した理由だ。最終的にはアルジェリアに強かった伊藤忠商事を選んだ。 
「アルジェリア系フランス人の叔母がいるから、その国に興味があったのです。」

 インフラの整っていない国で車を売るのは大変なことだ。
「まず、きれいなガソリンでないと車が壊れてしまうので、流通するガソリンについて情報調査します。」

 イラクでも情報の少なさに苦しんだ。日本の自動車メーカーが新規参入したくても、ガソリンの質も、現地の道路事情も、そもそも車が何台売れているのかも分からない。メーカーの担当者と一緒に、競合メーカーのボンネットを一台一台開けて写真を撮って回った。

 エンジンの種類から、どういうエンジンオイルが流通しているのか、ガソリンスタンドにはどういうタンクがあるのかまで、二人三脚で徹底的に情報を集めた。その甲斐あってついに一部モデルの導入が決まった。

 「あのときはうれしかったですね。本当に」。

 そもそも、女性がイラクに出張することに驚く。
「総合職の女性の中では、いちばん僻地に行っているという自負があります。女性だからという理由で行かせない上司もいますが、私は任せてもらえたので、モチベーションにつながりました。」

 でも、怖さはないのか。
 「幸い、怖い思いをしたことはありません。両親に心配させてしまって、イラク担当を外されたときはすごく喜んでいましたが。」

 それでも、今の仕事の大変なことは、面白いことと同義だと言う。

 「新しい国で見たこともないものや人や文化に出会うのは、心の底からワクワクします。」
アルジェリアでは朝の4時にコーランの音で目が覚めることもある。考え方の違う人たちと同じ目標に向かって進むのは、難しいからこそ面白い。

 時には女性であることがネックになったりするのか。
 「出張先では圧倒的に女性が少ない分、珍しいから会議に出してもらえることもあります。」
女性には女性の働き方がある、ということだ。

 「でも現地の方から、まだ結構しないのかってお説教されますけど。」 と笑う。
今後は、駐在に出て最前線で働くことが希望だ。

 「やはり、最前線を知らずしてビジネスはできないんじゃないかなって思うので。」と、白い歯をのぞかせた。日本の商社は、おもしろい。

 伊藤忠商事は、私です。
 
 

posted by ヒデキ at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 商社マンの仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月30日

商社マンの仕事 “人は、才能という資源を持っている”

 “人は、才能という資源を持っている”

 松尾直明、伊藤忠商事 エネルギー・化学品カンパニー

 才能とはなんだろう。目の前の若き商社マンの話を聞きながらそう思った。誰にも負けないことは? と問いかけると、「どんな人とも対話ができること。相手を信じられること。フットワーク軽く人に会いに行けること。」 と答えた。

 それはとても素敵なことではあるけれど、言葉にしてしまうとふつうにも聞こえる。しかしそのマインドを持ち続ける舞台が、この国を背負って臨むタフな交渉の場だったらどうだろう?自分のことなど誰も信じてくれない途方もなくアウェイな開発途上国だったら? 

 それは紛れもなく才能と呼べるだろう。

 入社7年目。エネルギー部門、石油・LPガス貿易部に所属。石油のトレードを担当する。東日本大震災の後、原発が停止しsていることから、発電用の重油を電力会社に納入している。

 2年目のとき、語学と実務の研修を受けるためインドネシアに滞在した。初めての分野の仕事、文化や言語もわからない、しかも周囲は10年近いキャリアの持ち主ばかり。

 「25歳の自分は、誰からも信頼されなくて当たり前でしたね。」みんなが面倒がる翻訳の仕事や雑用を黙々と引き受け、食事の機会を重ねながら少しずつ関係を築いていった。やはり人と人とのつながりや信頼があってこそだ。

 辛かった経験が、この仕事の本質に気づかせてくれた。

 そして数年後、そのことを改めて実感することになる。ある大手石油会社に石油を販売するプロジェクト。相手とは付き合いも長い。良い関係を持ち続けるために、情報提供などあらゆる努力を惜しまなかった。

 しかし相手の社内事情により、別の商社も競合に加わることになった。予想外の出来事に動揺した。この仕事はなんとしても取らなくてはならない。既に購入した重油がタンクいっぱいに入っている状態だった。重圧のなか、「担当者に泣きつきたいような気持でした。」

 すると思いがけなく言葉が返ってきた。「がんばってくれた松尾さんから、最後は買いますから。」
うれしかった。 「その人には今でも恩義を感じています。紳士的で誰とでも対等に話をしてくれる方でした。」 信頼関係が結実した瞬間だった。

 大学時代から、海外で働きたいと思っていた。青年海外協力隊で、アフリカやフィリピンの農村へ。現地では野球のコーチもした。道具がないので、ゴムボールの手打ち野球だ。その時に感じた。先進国からの援助は一方通行で、関係は長く続かない。

 本当に発展するためにはビジネスをして、そこに住む人たちが儲かる仕組みがなくてはいけない。眠っている資源を開発することで雇用を生み、日本にも利益をもたらす。そんな仕事に就きたいと思った。伊藤忠商事に、決めた。

 2か月後、彼と再会すると、薬指に指輪が光っていた。シンガポール駐在が決まってすぐ、つき合っていた彼女にプロポーズしたという。「シンガポールでも子供たちに野球を教えたいんです。」と、笑った。

 ここでも、惜しげもなく才能を発揮するに違いない。

 日本の商社は面白い。伊藤忠商事は、私です。


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2014年10月03日

”残業ゼロの働き方” 仕事革命を起こした伊藤忠商事

 ”メールを片っ端から返信するように”

 伊藤忠商事では岡藤正広社長のリーダーシップのもと、2013年10月から夜の残業のあり方を見直し、朝方勤務への転換に取り組みはじめた。
20時以降の残業を原則禁止して、どうしても必要な場合は事前申請とし、22時以降の深夜残業を禁止する一方、残業は翌日の朝にシフトするというものだ。

 インセンティブとして、朝5時から8時までの時間帯は深夜勤務と同様の割増賃金を支払い、8時前に始業する社員には軽食を提供している。

 しかし世界を相手に24時間戦う商社で、果たして朝方勤務へのシフトなどが可能なのだろうか。最初にこの方針を聞いた金属カンパニー原子力・ソーラー部の太田剛氏は、同様の印象を持ったという。

 「自分の都合で仕事を切り上げるのは顧客第一と真逆の発想ではないかという疑問もある。だから朝型勤務とはいっても自主運用の範囲内で、あまり自分に影響はないと思っていました。」

 ところが、実際に運用がはじまると、思いがけない事態が起こった。
「 見回りの人が来て、『なんで帰らないのですか』 と注意され、翌日も 『昨日残っていた者、出てこい』
と言われ、会社は本気でやる気なのだと。これは仕事のやり方を切り替えないといけないと思いました。」

 それまでの太田氏の一日は、繁忙期を例にとると朝9時に出社し午前中はメールチェックや打ち合わせの準備、午後は夕方まで顧客とのミーティング。夕方から夜にかけて社内の協議を行って自分の業務に戻り、終電まで集中するというパターンだった。

 こうした働き方が不可能になり、見直したのが午前中の使い方と仕事の進め方である。

 「 今後は午前中からミーティングをどんどん入れていかなければ業務が回らなくなってしまう。それには一つひとつの物事を考え、決めるプロセスを早める必要がありました。」

 たとえば何らかの返答をしなければならないとき、従来はいろいろな人の話を聞いてから考えをまとめていたものを、自分の考えや仮説を作ってからその確認を取りに行く形に変えた。つまり自分が議論をリードし、ダメならもう一度やり直す形に変えたのだ。

 メールの返答も以前は1件読んだ後、別のメールも読んでしばらく考えてから返答していたが、1件ごとに読んだらすぐ返信するように変えた。そうすると相手の返答も早まり、物事が進む相乗効果も生まれた。仕事の進め方を見直すことで、1日8時間かかっていた仕事が6時間でできるようになった。」

 現在の一日は、7時に出社し、前日の積み残しやメールチェックを済ませ、9時から社内ミーティングを行い、午後から顧客とのミーティングに出向き、19時半までにその日の振り返りと翌日の課題を整理して退社する。退社後は会食等がなければジムで汗を流して帰宅し、24時には就寝し、6時に起床する。

 「以前と比べると仕事でこなせる量が非常に増え、実力が上がったと実感しています。お客様と支障が生じることもなく、むしろ 『いい制度ですね』
と言ってもらっています。生活面ではジム通いで12キロ痩せました(笑)。」

 伊藤忠商事 人事・総務部の梅山和彦企画統轄室長代行は、

 「この取り組みを通じ、いかに限られた時間のなかで業務を効率的に行い、成果を出していくかという意識が根づき、仕事の優先順位のつけ方や見極める力が付いてきているという印象を持っています。」
と語る。

 (引用: プレジデント 9月29日号 ”時間の科学” )






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2014年08月23日

仕事革命で脱・残業 − 伊藤忠商事の例

 仕事効率化で脱・残業 朝型勤務、管理職が率先

伊藤忠商事 猪俣和彦さん 「夜の仕事は朝に回して取引先との会食に向かおう」。伊藤忠商事の猪股和彦さん(45)が所属する石油・LPガス貿易部では最近、担当者全員が夜の会食にそろう場面が増えた。同社は昨年10月、午後10時以降の残業を禁止、午後8時以降の残業を原則禁止にした。

 石油製品原料のナフサ取引の山場は夕方に集中する。午後4時半から5時半に取引市場の中心であるシンガポールの取引価格がまとまり、中近東などの買い付け先と電話での交渉が始まる。交渉しながら、当日の売買価格や損益データを入力。部門長に提出する報告書の作成は取引が一段落する夜となり、従来は午後10時まで残業していた。

 夜の残業禁止に対応するため、石油・LPガス貿易部で部長代行を務める猪股さんを中心に考えたのが「締め切り時間を変える」という発想の転換だった。午後8時以降に報告書を作っていたのを、従来より2時間早い朝7時に出社し、仕上げることにしたのだ。

 「本当に部門長が来るまでに報告書がまとまるのか」。猪股さんや若手にも不安はあったが、「上司の自分が率先してやらなければ定着しない」(猪股さん)と考え、午後8時前に部下を会食に連れ出すようにした。

 効果は表れた。早朝は夜と違い取引先から電話がかかってくることが少なく、「報告書の作成に集中でき、仕事の効率が高まった」(猪股さん)。会食する機会が増えたことで、部下や顧客とのコミュニケーションを深められるようになった。今では若手を中心に常態化していた残業はほぼゼロとなっている。

 (引用: 日本経済新聞)

 【 誰も書かない中国進出企業の非情なる現実 】


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2013年12月08日

『壮絶な人生』 

 ― 交友抄 伊藤忠商事専務、高柳浩二

 2008年1月7日深夜、枕元の電話が鳴り響いた。ヘリの墜落事故でボブ・チャンドランが死亡したという驚きの知らせだった。

 ケムオイル社のボブは1つ年上のインド系米国人、私が担当していた石油事業の合弁相手で、オックスフォード大の講師をつとめるインテリでもあった。
http://www.chemoil.com/default.asp

 無類の議論好き、仕事好き。24時間、365日仕事だけ考え続ける。合弁事業に利害関係はつきもの。自分の主張が通るまで譲らないので、こちらも頑張る。

 ゴルフ場ではプレーもせずにクラブハウスで激論。最後は互いにヘトヘトになって何とか合意にたどりつく。仕事は格闘技だと思い知らされた。

 ただ、いったん決まれば猛烈な行動力で事を成就する。やんちゃ坊主のようでどこか愛嬌があり憎めない。2006年には1年以上の議論の末、合弁会社上場に合意した。しかし、年央の石油価格下落で上場に失敗。

 さすがにそろって落ち込んだが、苦難の末、年末には何とかシンガポール市場上場にこぎ着け、抱き合って喜んだ。

 無一文で米国に渡り、上場後フォーブズの富豪リストにも載ったが、最後は墜落事故死という彼らしい壮絶な57年の人生だった。終生忘れえぬ友である。

 ( 引用: 日本経済新聞 ) 

ワンミニッツイングリッシュは1分聞くだけ!の英語プログラム
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2013年11月09日

商社マンの仕事 − 世界級ランカーのくず鉄トレーダー (4) 

 【 連載記事は下記のカテゴリー欄よりご覧になれます 】

 ニューヨーク・ヘッドハンティング

 住友商事を辞めてヒューゴ・ニュー社に転職した1981年、いまから29年前の記憶は、いまだにずしっと重い鎖を引きずる。米国住友商事で華々しく鉄屑取引を展開、相場も紙一重とはいえ成功し、英国くず鉄の領域も席巻した。

 アメリカの業界でも、トップレベルのトレーダーとして注目を集めた。ついに鉄屑商社の雄、三井物産の取扱い料をしのぐまでになった。

 当時、ヒューゴ・ニュー社は、すでにシッパー(鉄くず輸出会社)の中でも大手だった。創始者のヒューゴ・ニュー氏はまだ健在、彼の長男のジョン・ニューが営業担当の副社長で日ごろ、いや毎日、住商の私とやり取りしていた。

 1947年、ミスター・ヒューゴ・ニューが40歳で設立して以来、本社はニューヨーク。独立前は当時の代表的世界商社でヨーロッパを席巻していた金属商社、アソシエイテド・メタル社に勤めていた。ヨーロッパから派遣されてニューヨークにオフィスを設立し、米国にアソシエイテドあり、と言われるほどの地位を築く。

 鉄、非鉄金属関係では世界でも1位、2位を築くほどの商社であった。ところが第二次世界大戦前後にナチスの迫害から逃れるためにオーナーの親戚たちがニューヨークに移住し、ヒューゴ氏のビジネスに口をはさむようになる。ヒューゴ・ニュー氏は、それが嫌で独立したそうだ。

 ヒューゴ氏はドイツのハンブルグ出身のユダヤ人だ。彼の記憶力、洞察力、事業意欲、行動力、どれをとっても超一流。私が会ったビジネスマンでもトップレベルである。めったに人を褒めない私だが、彼は超一流の事業家だった。

 もっともこの超一流には泣き所があった。それは、長男のジョンと次男のリチャードを競争させながら育てたこと。ジョンには、ことさら厳しくあたったようで、決してほめなかったそうだ。ヒューゴの経営方針も同じだった。

 徹底的に競争させる。同じ社内の工場同士を競争させる。工場長たちもあからさまに比較して競争させる。ジョンとリチャード兄弟の関係も全く同じだ。厳しい比較と競争にさらされて、相手を猛烈に意識する。

 互いを尊敬しなくなり、最後には互いを認めることもなくなってしまう。その結果がどうなったか?

 1981年、ヒューゴ・ニュー社の事業は、鉄くず部門はすでにアメリカの輸出業界ではトップクラス、海運界でもノルウェーを代表する船会社ベルゲッセン社とのジョイント・ベンチャー(共同出資)で行った船舶への投資がすこぶる好調、さらに第三の事業、不動産部門に力を入れる状況にあった。

 長男のジョンは営業担当で鉄スクラップの売買と新規の事業にてんてこ舞い、弟のリチャードはロサンゼルスの工場長、猫の手も借りたい状態だった。ジョンを電話でつかまえるのは苦労した。当時は留守電などない。相手をつかまえるためには深夜の3時、4時でも電話をかけていた。

 「マスイ、10分だ、ビールでもどうだ?」
ある日の夕方6時過ぎ、突然ジョンから電話がかかってきた。近くのホテル、ワールドーフ・アストリアのバーでそれこそ10分か15分、ビールを1杯飲んで、はいサヨナラ、私は事務所にとんぼ返りする。ジョンのせっかちといったら、せっかち自慢の私でさえ昼寝の牛みたいなもの。

 ジョンはハツカネズミと野生の猿を同居させたような感じで、じっとしてはいない。一度に5つか7つのことをしようとする。2、3件ならまだご愛嬌だが、5つ、7つともなると、相手の感情を傷つける。相手の話を聞きながら新聞を広げたり、雑誌を切り抜いたり。

 そのジョンが、住友商事を辞めてヒューゴ・ニュー社に来いと私を誘いはじめたのは、私が辞める決心をする2年半まえだったろうか。毎回、ビールを飲むたびに誘いの話が出る。当初、住商を辞めてヒューゴ・ニューに転職しないかと誘われたときには、侮辱された思いがした。

  「バカにするな。住友商事は世界的大商社、お前の会社はたかが鉄くずの大手、しかも個人経営ではないか。」と。私の住商への愛社精神はかなりのものだったのだ。

 ジョンは悪びれるどころか、すぐに報酬の話を持ちだす。私が断る最大の理由は報酬が低いから、逆に言えば、どんな人間でも金さえ積めばヘッド・ハントできる、仕事の票かはカネ次第、一所懸命に働くのは金が目的、彼は頭からそう信じていた。

 これが彼の理論、そしてアメリカの理論だろう。わたしにはこれがしゃくにさわった。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 
増井重紀氏 − 住友商事を出発点に、世界最大の鉄くず産出国アメリカで企業経営を17年。動きの激しい鉄くず相場、その針のムシロに悶えながら凄まじい現代鉄クズ戦争を勝ち抜き、ヒューゴ・ニュー・コーポレーションをアメリカ最大の鉄クズ輸出業者に育てた後、現在は新会社を設立。『鉄屑ロマン』 の著者。

 ( 引用: 鉄屑ロマン ) 

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商社マンの仕事 − 世界級ランカーのくず鉄トレーダー (3)

 【 連載記事は下記のカテゴリー欄から通してご覧になれます 】

 ナンさんには、このほかいろいろ教わった。

 「 ええかマスイ、メーカーさんに行ったらな、事務所に行くな、まず構内歩け。工場を歩くんや。鉄くずヤード見せてもらいます言うて歩くんや。ええか、鉄くずヤードは工場の隅っこにあるんやで。

そこまで歩いていけば、工場のすべてが見れる。製品置き場は必ず見とけ、在庫が多いか少ないか、それで景気が分かる。在庫が増えたら注意しろ、売掛金、心配するんや。

鉄屑見たら頭下げろ、オマンマ食わせていただいておりますと、感謝せい。 」 

 わたしに 「 鉄屑の検品ならだれにも負けん、世界一や 」 と自信と自負を植え付けたのも、結局はこのナンさんだったのだ。

 「 ええかマスイ、鉄くずと男の勝負がしたいなら、大阪築港にいけ、毎日築港に通って、入荷してくる鉄屑と話してこい、鉄くずと話ができるようになったら、一人前や。 」 

大阪築港には、外国から輸入された鉄屑が陸揚げされる。

鉄屑との対話。同じようなことを大阪故鉄の上野さんからも聞いた。
大阪故鉄は、関西の鉄くず業者でも最大手の一つ。40年後の今日でも業界大手の地位は不動。創業者の矢追一族はすでに代替わりしているが、2代目がよく頑張り関西きっての老舗として栄えている。

ところで、この大阪故鉄の番頭兼経理を長年務めたのが上野さん。長年のつきあいだが彼のフルネームは知らない。鉄くず業界ではお互いを姓で呼ぶ。

上野さんは30代だったはずだが、駆け出しの私には随分の年長者に思えた。声はドスのきいた嗄れ声で、会話の中身も随分年をとった人の話ぶりだったが、その口の悪さは業界でも定評があった。

「 マッさんな、鉄くずと話ができる男がおるんやて、 “私はごらんの通り、米国はボストンから参りました” 言うてな。トン数もわかるんやて、鉄くずの山を見てな、見ただけで何千百万トンあると分かるんやて。

在庫表より、その男の目測のほうが正確なんやて。その男な、毎朝5時に起きて築港行ってな、船倉に下りてな、毎日鉄屑の山の上、歩いたんやて。鉄くずが話しかけてくるまでな。何年かかったか、ホンマの話かどうかも分からんけどな、それぐらい努力してみ、いうことちゃうか。 」 

「 南さんも鉄屑と話できるのやろか? 」 
「 ナンさんか、築港の船にも乗ったことないんとちゃうか、国内屑なら大したもんやろけど、輸入クズはど素人やろな、あいつな、横文字は嫌いよってな。 」 

それから私は、6時前には大阪築港に通った。朝早く、小さなランチ (小型艇) が沖に停泊中の船に出向く。夜荷役をした作業員たちを迎えに行き、交代の昼荷役の作業員を送り込む。

 この荷役の交代時間こそ、船の船倉に下りて輸入鉄屑の山の上を歩く唯一のチャンスだった。冬の凍えるような朝、軍手をして外船 (外国船) から下ろされたロープをつたって船に登る。

港の沖のブイに係留された外船は、船側が高くそびえ立っている。3回建てのビルの高さはあった。ロープには結び目がついていて、手が滑らないようにはなっているが、それこそ命がけだ。

ときには縄梯子がついた船もあった。地獄で仏とはこのことだ。この朝6時の外船詣でを毎日続けた。当時の住商はナンさんのおかげで国内屑には実績があったが、輸入屑、特にメインソースの米国屑の扱いは皆無に近い状態だった。私が見に行く鉄屑はほとんどが、三井物産、三菱商事、丸紅、日商岩井、それに阪和興業が輸入していた。

これが1年半ほど続いた。そのうち、じっとスクラップ、つまり鉄屑をにらんでいると、それが米国屑か豪州屑か、米屑でも東海岸、それもフィラデルフィアか、ニューヨークか、分かるようになってきた。

鉄屑が話しかけてくるのはともかく、鉄くずにも産地によって形状が違い、フィラデルフィアの鉄くずは全体に厚みがなくNo.1 (1級) とNo.2 (2級) とが混然としているとか、ロサンゼルスのは異物の混入は少ないが、軽量屑が特にパイプ類が多いとか、特徴があるのだ。

いまでも、鉄くずの山を見れば産地を当てることができる。これを私の神業という人もいるが、当時の築港経験のたまものだろう。鉄くずの山を見て、その数量を当てることでは、世界中で私の右に出るプロはいないと思う。こればかりは、結果がはっきり出る。ごまかしはきかない。

まず高く積み上げられた鉄屑の山を見てトン数を目測する。興味津々の部下たちは私が出した数字をメモする。それからその山全部を動かしてトラックで計量すれば結果が出る。

過去に何百回も試されたが、私の測定の正確さには、何かカンニングでもしたのではないかと専門家が疑う。この特技は、私が鉄クズビジネスの頂点に立つことができた原動力だと自負している。

 ( つづく ) 

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増井重紀氏 − 住友商事を出発点に、世界最大の鉄くず産出国アメリカで企業経営を17年。動きの激しい鉄くず相場、その針のムシロに悶えながら凄まじい現代鉄クズ戦争を勝ち抜き、ヒューゴ・ニュー・コーポレーションをアメリカ最大の鉄クズ輸出業者に育てた後、現在は新会社を設立。『鉄屑ロマン』 の著者。

(引用: 鉄屑ロマン)
posted by ヒデキ at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 商社マンの仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする