2015年05月16日

元気の出る言葉 

 「 世間の評判は気にせず、自分の正しいと思うことを真っすぐにやる。」
 − 吉田松陰

 世間が人を褒めたりけなしたりする見方は、実態と違うことが多い。それなのに、世間の評判を気にして、表面的なことばかりを気にかけているようでは本当に正しいことはできなくなる。

 だから本当に成長する人というのは、自分の正しいと思うことを真っ直ぐにやり、進むのである。

 真っすぐに進む人ほど事をなす。余計なことを考えないから集中でき、やることをやってひたすら実践するから、世間からは 「コイツは気が狂っている。」 と言われる。

 しかし、それだからいいのだ。世間の評価というのはズレていることが多い。大体、時代から遅れている。だから狂っているように見えるのだ。

 吉田松陰は、やるべきと思ったらすぐやる人であった。しかし、世間はそんな松陰を狂っているとしか見なかった。

 藩の軍学教授という地位が保障されていながら、友情のため、また、今見ておくべきのことがあるのだという思いに駆られ脱藩をする。当時の脱藩は重罪であったが、それでも実行に移した。

 ペリーの船で密航しようというのも、当時は国法に反する大罪であった。だが日本のためにこれしかないと思い、実行に移すのだ。

 当時の人にとっては恐れおののくほどの狂人であったかもしれないが、今は多くの日本人が尊敬をしている。本当に正しいことをやり続けるという人は、狂って見える。

(引用 『狂気のススメ』 常識を打ち破る 吉田松陰の教え)

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2015年05月03日

元気の出る言葉

「 自分がどこに行きたいのか、君は知らなくてはならない。
そして、どこに行きたいのかわかったら、
導かれるまま行きなさい。

 そしてもし、それが君をまちがった
道につれてゆくように見えても、心配しないように。

 というのは、そこはおそらく、本能的に君が
いたいと思っている場所だからだ。

 もし、いつも尻込みして、ずっといた場所に
居続けようとすると、
 君はひからびてしまうだろう。 」

 ガートルード・スタイン(1874年-1946年)
 
 − アメリカの著作家、詩人。その生涯の大半をフランスで過ごし、現代芸術と現代文学の発展のきっかけを作った。

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2015年04月21日

元気の出る言葉

「 人生には、積極果敢なチャレンジと、深い感動、そして、うっとりするような甘美な思い出が必要 」

僕が5年前に書いた言葉です。まあ、これ読めば僕がどんな人間かは一瞬で分かると思いますが(笑)!
説明する必要もないくらいにシンプルな人生観です。

 【 恵比寿ワイン会 − エコノミストが経済を語る 4月24日(金) 】
 本日、定員に達しましたので、募集を打ち切ります。ご参加頂けます皆さん、ありがとうございます。
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2015年04月05日

元気の出る言葉 

 「 起業家精神旺盛な奴との仕事ほど楽しいものは他に無い 」
 − 板倉雄一郎、起業家

 今日は、僕の尊敬している起業家、板倉雄一郎氏の言葉を紹介します。彼は、ITバブル華やかなりしころ、一時はハイパーネットの経営者として成功しましたが、1997年に倒産。個人としても37億円の債務を負い自己破産しました。

 1998年に、その経緯をまとめたノンフィクション『社長失格 〜ぼくの会社がつぶれた理由〜』を著し、ベストセラーとなり、現在は再び起業家として活躍されていらっしゃる方です。

 自分が気落ちしている時は、彼の言葉を聞くとたちまち元気が出ます。

「 ここは俺が!
世の中変えてやる!
関わる人をハッピーにさせてやる!
 これでどうだ!
土砂降りの問題もかかってこい!

 ま、起業家精神を誰でもわかるように表現すればそんなことかな。
 そんな精神を持っている奴と仕事するのは実に楽しい。」

 【 失敗から学べ! 社長失格からの復活学、板倉雄一郎著 】


 【 社長失格、板倉雄一郎 】



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2015年03月03日

元気の出る言葉 

 『人は最初の動機、つまり何のためにするのかを、しっかりしておかないといけない。』
 − 吉田松陰

 最初の動機、何のためにするのかを間違えて、いいかげんなことを始めると、人生取り返しのつかないことになる。あるいはかなりの遠回りとなり、もったいないことになる。

 特に若いとき、青春のときは貴重だ。大きく伸びるときだ。このときに間違った動機で誤った方向に向かって進んでしまうと、後でなかなか挽回できなくなってしまう。

 志を持つのは何歳になっても遅いということはないが、どうせ努力するのであったら、若いときから正しい考え方、正しい方向でやったほうがいい。ものによっては遅きに失することもあるからだ。

 (引用: 『狂気のススメ』 常識を打ち破る 吉田松陰の教え)


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2015年02月22日

元気の出る言葉 

 「眠っている人間だけが間違いを犯さない」

 − イングヴァール・ガンプラッド、IKEA創業者 (スウェーデン)

 家具の王様カンプラードは聡明で型にはまらない経営者だ。リチャード・ブランソンのように、既成の権威に挑戦し、不利な状況にあってもそれをひっくり返すことを楽しんでいる。

 子どものころから勤勉だったカンプラードは、スウェーデンの家具業界のカルテルに挑み、巧みにその裏をかいた。結局は、常にカンプラードが予見した通り、顧客は自分たちの要求を満たす製品だけを買った。顧客が要求したのは、安くて高品質な製品である。

 カンプラードは、フラットパックやセルフサービスといった革新的な手法を打ち出して、一般大衆に価格に見合う価値のある製品を供給し続けた。イケアでの買い物は、家族そろって出かける楽しいイベントになった。しかもそれは郊外型のショッピングセンターが出現するはるか以前のことだった。

 1986年にカンプラードがイケアの経営の第一線から公式に身を引いたころには、小売りの形態を変革し、何千人もの起業家に刺激を与えていた。

 イングヴァール・カンプラードは1926年、スウェーデンのスモーランドにある荒涼とした田舎町エルムタードの農場で生まれた。厳しい環境の中で育っている。1920年代のスウェーデンは、人が育つような環境とはとてもいえなかった。しかし、カンプラードは若者らしい情熱にあふれ、すぐにその豊かな才能を発揮し頭角を現した。

 最初に始めたささやかな仕事は、近所の人たちにマッチを売ることだった。当時5歳だった。それが獲った魚の販売や、採取したコケモモをバスで出荷するビジネスへと進化した。初めてまとまったお金を手にしたのは、園芸用の種子の販売だった。新しいレース用自転車とタイプライターを買うには十分な金額だった。

 1943年に自分の会社を興したとき、カンプラードはわずか17歳だった。それをイケア(IKea)と名づけた(後に文字がすべて大文字に変えられる)。IKは自分のイニシャルから取り、EとAは、自分が育った農場のあるエルムタード、そして生まれ故郷の村アグナリッドから取った。

 1945年には、カンプラードはさまざまな商品を扱っていた。商圏は地元を越えて広がり、郵便での通信販売も始めた。新聞に広告を掲載することによって需要を喚起し、流通の問題は地元の牛乳配達のバンと鉄道網のおかげで解決した。

 ペンや鉛筆、写真フレーム、財布、腕時計など、スウェーデン中のさまざまな商品が国内を行き来した。カンプラードは一日中フルに働き、会社を経営した。1946年に兵役義務を果たし、その後再び事業に専念した。

 カンプラードは1948年、初めて家具の宣伝広告を打つ。家具を販売しようという判断は、もともと、競合している会社と対等に渡り合おうとした結果生まれたものだった。

 家具は地元の製造業者から供給された。価格は安く、順調な販売が期待できた。実際にその通りになり、4年後には他の取り扱い商品からは手を引き、適正な価格の家具と地元の品物だけに専念した。

 1953年までは、通信販売だけで事業を営んでいた。当時の問題は、通信販売業界の競争によって、価格と品質の両方の低下を招いていることだった。カンプラードはいくつかの製品の分野で、でたらめな価格競争にはまり込んでいた。

 競争相手が粗悪品の配送を続けているという事実は、業界全体の評判にも悪い影響を及ぼす。この状況を打開するために、顧客に製品を実際に見て触れてもらうことにした。

 カンプラードはアルムートで廃業寸前の家具店を買収し、イケアは家具店になったと宣伝した。1953年3月18日に家具展示場を新設した。もし顧客がカタログにある製品を直接確かめたいと思ったときには、この展示場を訪ねればよいわけだ。

 それは賭けだった。開場初日、カンプラードは不安な気持ちで一杯になりながら、工場兼展示販売場の扉を自らの手で大きく開いた。その瞬間、目の前に広がった光景に息をのむことになる。そこには少なくとも1000人の人たちが今や遅しと開場を待っていたからだ。客の目当ては、おそらく無料でふるまわれるコーヒーとロールパンだった。

 今日のイケアのビジネスを支えている基本原則が確立したのは、こうした初期のころだった。コストに厳しい姿勢は同社の基本原則の1つだ。カンプラードはひもや箱、紙をはじめ節約できるものは何でも節約した。もう1つの特徴は飲食の提供だ。

 店舗での飲食の提供はコーヒーとロールパンから始まって、今では豊富なメニューを誇るレストランにまで発展しているが、来店客に何かおいしいものを提供するという考え方は、今も昔も変わっていない。

 「お腹がすいたままでは、いい買い物はできませんからね」と彼は言う。
1955年、カンプラードは初めての大きな挫折を味わう。

 イケアの業績は順調、顧客は続々と工場に押し寄せ、注文も増加していた。ところが、業績があまりにも突出していた。カンプラードとまともに勝負できない競争相手は、姑息な手段に訴える。

 たとえば、イケアの取引先の企業が突然、同社に製品を供給するなという圧力を受けるようになった。また、イケアはなぜか家具見本市から閉め出された。あるときなど、カンプラードは見本市会場に入るのに、友人のボルボの後部でカーペットの下に身を潜めなければならなかった。

 製品供給を受けるのが困難になって、カンプラードは自社で家具の設計と製造を手がけることにした。業界の展示会から閉め出されたことに対抗して、自前の展示センターを確保した。競争相手がどんな手を打ってきても、カンプラードは常にそれらを打ち負かした。

 イケアは次々とマイルストーンを打ち立てていった。フラットパックの梱包が1956年に導入され、顧客は買った家具を簡単に自分のクルマに積み込むことができるようになった。

 1958年には、アルムートに6700平方メートルの広さを誇る店舗が完成、100人目の従業員を採用した。セルフサービスが導入されたのは1965年だった。1970年代になるころには、イケアはヨーロッパ全土に店舗を展開する国際企業に発展している。

 1999年、同社は30ヵ国に150の店舗を持ち、従業員数は4万4000人を記録した。売上高は70億ドルを超え、カタログの発行部数は1億部にもなっていた。

 現在、カンプラードは日々の経営の仕事から公式には引退している。とはいっても、多くの人々は依然として同社の象徴的指導者だと考えている。莫大な資産を手にしたにもかかわらず─税金や法律上の理由でスイスに住んでいる─カンプラードは、その昔マッチ売りから身を起こそうとした人物と、根本のところでは変わるところがないようだ。

「私の仕事は大衆に奉仕することだ」

「問題は、その大衆が何を求めているのかをどのようにして見きわめるのか、それにどう応えるのが最良なのか、ということだ。私の答えは、常に普通の人たちのそばにいろ、ということだ。というのも、もともと私自身がその普通の人だからだ」

 と言っている。

 カンプラードがコストにうるさいことは有名だ。かつて自分のことを「スウェーデンのけちん坊」と表現した。飛行機はエコノミークラス、食事は質素、服装はカジュアル、そして住まいの近くの市場では値切ることで知られている。

 イケアも同じだ。重役は置かず、組織の階層も最少、広告も少しばかり風変わりである。
 後継者について言えば、カンプラードは3人いる息子の誰かに会社を譲るようなそぶりはまったく見せない。

 「どの息子もこの会社を経営できるほどの力があるとは思えない。少なくとも今までのところはそうだ」
 というもの言いを聞いていると、イケアでまだ自分が重要な役割を果たす余地が残されていると信じているような印象を受ける。

『デザインでリードする』(Leading by Design)と題された評伝の中で、こう言っている。「私の中の悪魔が仕事はまだまだあるぞとささやきかけてくる。……私は決して仕事に満足することはない」

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2015年02月14日

元気の出る言葉 (188)

『志がしっかり立てられれば、できないことなど何もない』
 − 吉田松陰

 生きる道が正しいかどうか、仕事や勉強の業績が上がるかどうかは、志がきちんと立っているかどうかによる。だから立派な人物というのは必ず志を立てる。この志があれば、気もこれに従うものだ。この志気があれば、どんなに遠かろうと、そして難しかろうと、できないことなどないのである。

 論語の中に、「庭桜の花がひらひらと舞っている。それを見てあなたが恋しいとは思うけれど、あまりに家が遠すぎて」 という古い詩がある。

 孔子はこれを口ずさんでいて、そして言った。
「遠すぎて会えないというのは本当の思いがないからだ。本当の思いがあれば遠くても会えるものだ。」 と。

 ここで孔子がいいたかったのは、何事も、やろうと思えばできるのであるということだ。それを、どう思い込むかということである。

 つまり、吉田松陰の説明によると、志をいかに立てるか、そしてその志に率いられてヤル気をいかに出すかにかかっているのかなのだ。

 この志気さえしっかり立てられれば、どんなに難しいことでも、不可能なことはなくなるという。吉田松陰のいう志とは、いかにして自分を成長させ、この世に、日本に役に立つ人間になるかということである。

 (引用: 『狂気のススメ』 常識を打ち破る 吉田松陰の教え)
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2015年02月01日

元気の出る言葉 

「あなたはいつまで、あなたのエネルギーを眠らせたままにしておくつもりですか?」  

 バグワン・シュリ・ラジニーシ、 OSHO(和尚)で知られるインドの啓蒙家

 あなたはいつまで、あなたのエネルギーを眠らせたままにしておくつもりですか?

 あなたはいつまで自分の偉大さに気がつかないままでいるのですか?

 心の中に葛藤をかかえこんで時間を無駄にしてはいけません。
 疑いの中に時を失ってはなりません。

 時間はとりもどすことができません。
 もしあなたがチャンスを見逃してしまうと、次のチャンスが再びやってくるのは、
 何回もの人生を生きたそのあとかもしれません。

@結婚相談
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2015年01月16日

元気の出る言葉 

 「壊れたダンプカーのように働く」
 佐藤弥右衛門、大和川酒造 代表 (福島県喜多方市)

 年齢は私と変わらないが、けた外れのパワーで、立ちふさがる樹でも何でもなぎ倒し、突進していく姿は圧巻で、脱帽せざるを得ない男がいる。ブレーキの壊れたダンプカーのような突破者だ。

 佐藤弥右衛門さん、福島県の喜多方にある大和川酒造の旦那である。ヤエモンさんと呼んでいる。どうやら同志のような存在だ。ただし、繊細さだけはかけらもない男なので、ぶつかることもある。

 震災後につくづくわかったが、私には組織を動かしたり、何か事業をおこしたりするような能力は皆無である。3.11から1か月も経たぬ頃から、「 福島県を、再生エネルギー特区に! 」 と言い続けてきたが、わたし一人では何一つ始まらない。それを面白がって実践に移してしまったのがヤエモンさんである。

 気がつくと、会津電力という会社を立ち上げ、人もお金も集めて、再生エネルギー事業に乗り出していた。会津はすでに、地産地消型の再生エネルギーの拠点として世界に知られつつある。逆風はあれ、この豪快な風雲児は必ず未来を切り開いていく。

 本業の酒の 「弥右衛門」 は、人を酔わせる幻の酒だ。 「日本酒」 を世界に広めようと駆け回っている姿もいい。合言葉は地域の自立だ。  赤坂憲雄、福島県立博物館長

 大和川酒造 オンラインショップ http://yamatogawa.by.shopserve.jp/

 【 元気の出る音楽 】
 
 坂本龍一の名曲 ”千のナイフ” を Envelope Generator というバンドがコピーした曲がYou Tube で聴けますが、もうメチャクチャカッコいいです。元気が出ます!

 https://www.youtube.com/watch?v=dGoNVAJ11-o

 ”千のナイフ” の原曲はこちらです。
https://www.youtube.com/watch?v=B4ZfB4uiWb8

  ( CD 坂本龍一 千のナイフ )

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2015年01月12日

元気の出る言葉 

 「 考えろ。考え抜け。だめなら悩め。」

 − インターメスティック社長、上野剛史

 初めて就職したスポーツ選手のマネジメント会社での男性上司の言葉です。社会人としての常識、ビジネスマナーを身につけるうえでさまざまな経験ができた職場でした。

 ゴルフ選手を担当していたので、ほとんどの週末はトーナメントを追って出張です。初めての長期出張で、待ち合わせ時刻の5分前に空港に着いたら、すでに上司が待っていました。 「 駆け出しなんだから15分前に来るのは当然 」 と怒られました。

 そのときは自宅から空港に直行しましたが、これを聞いた上司にまた叱られました。 「 途中で会社に寄り電子メールをチェックしてくるのが常識だ。 」 

 出張が終わり、ホテルで使った洗濯代も会社に経費として請求したら 「 何を考えているんだ。 」 とさらに説教されました。それでも本業で成績を残せば評価されたのでしょうが、うまくいかなかった。実質的な仕事は会社が契約していた海外のプロゴルファーの通訳でした。

 ところが僕はゴルフの経験がなかったので、選手から「クラブの使い心地」 や 「打球の感じ」 などを聞いても適確な日本語に訳すことができませんでした。自分なりに考え、猛勉強もしましたが、追い付かなかった。

 次に勤めた広告代理店では女性上司に鍛えられました。彼女の教えは 「何事も中途半端にやるな」 ということでした。

 いずれの指導も当たり前の内容でしたが、失敗で打ちのめされた身にはこたえました。現在の社員への指示にも生かしています。2人の元上司はいまでもかけがいのない師です。
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