2015年09月12日

またもや活かされなかった自然災害の教訓

 − 自然災害の軽視はもう止めよう

 鬼怒川の氾濫で3名が亡くなり、16名が行方不明となったが、自然災害の教訓が今回も活かされなかったのは残念というしかない。

 年々度あいを増していく地球規模での異常気象だが、洪水や河川の氾濫、鉄砲水では毎年のように犠牲者が出ている。今回も、前夜から栃木県、茨城県では避難警報が2度、3度と出ていたにもかかわらず、避難しなかった住民が犠牲となった。

 注意報から警報へ、そして避難警報へと格上げされる度にその重要さをかみしめて、素直に行政の注意に耳をかたむけていれば犠牲者は出なかったはずだ。

 たとえ家屋は流されることになったとしても、自分と家族の命だけは守ろうという決意さえあればこんなことにはならなかったのではないか。

 取るものとりあえず財布とスマホさえ持って避難所やホテルに宿泊すれば、命だけは確保できるから、そこからまた一から出直せば良いではないか。銀行の預金通帳も、家屋の土地権利書も、再発行ができる。

 家族4人でホテルに一泊すればせいぜい5〜6万円で済む。臨時出費でお金が出て行くのは痛いかもしれないが、家族の命を守るためと思えば、安い出費ではないだろうか。

 「自分の家だけは大丈夫だろう」という根拠のない楽観論を信じたり、行政の避難警報を軽視するから毎年、同じような悲劇は繰り返される。

 この春も長野県南木曽郡を襲った鉄砲水で、中学生の命が亡くなったが、最近の自然災害は尋常なスケールではないことを肝に銘じておけば、同じ悲劇が繰り返されることはないはずだ。

 さらに残念なのは、国土交通省のダム技官が、鬼怒川上流のダムを許容量満タンまで水をためず、7割の時点で放流してしまったことだ。その放流がこの堤防の決壊につながった。

 「ダムの調整弁コントロールは難しい」と、責任逃れの言い訳をしていたが、尋常ではない水量が川にたまったのだから、ギリギリまでダムに貯水してこれ以上貯めるのは無理だという時点で放流すべきだった。

 堤防決壊現場ではクローンが空中撮影した映像がYou Tubeに流れていたが、これだけテクノロジーが進歩した現代において、治水技術だけがオールド・テクノロジーのまま止まっているというのが皮肉だ。コンピュータでプログラムを作ってダムの放流を管理しようという発想は出ないのだろうか? 

 あるいは、公務員の仕事がなくなってしまうのが嫌だから、治水におけるコンピュータの利用を渋っているのだろうか。だとすれば公務員の怠慢だ。

 理化学研究所では世界に先駆けて超スーパーコンピューター 『京(けい)』を開発してコンピューターテクノロジーでトップグループを走っているはずの日本で、治水技術は古いまま止まっているというのは悲劇だ。

 お亡くなりになった方々の冥福を祈るが、肝に命ずべきは、行政から出た警報には素直に従うという教訓だろう。年々激しくなる異常気象に、貴重な人命を取られるのはもうごめんだ。
posted by ヒデキ at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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