2013年11月25日

英語のシャワー ≪ ピーター・ドラッカー 革新と企業家精神 (15)≫

 ピーター・ドラッカーの ”イノベーションと企業家精神 (15)” をお届けします。下記のカテゴリー欄より連載記事を通してご覧になれます。

 経営学とビジネス英語の両方を学べるでしょう。英語の後に日本語訳が続きます。

This meant that social innovation was far more critical than steam locomotives or the telegraph.

And social innovation, in terms of the development of such institutions as schools and universities, a civil services, banks and labor relations, was far more difficult to achieve than building locomotives and telegraphs.

 社会的イノベーションは蒸気機関車や電報の発明よりずっと重要だったということである。社会的イノベーションは 学校や大学、官僚組織、銀行や労働組合といった組織の発達という意味においては蒸気機関車や電報を発明するのと比べてはるかに難しいのである。

A locomotive that will pull a train from London to Liverpool will equally, without adaptation or change, pull a train from Tokyo to Osaka. But the social institutions had to be at once quintessentially “Japanese” and yet “modern”.

 ロンドンからリバプールまでの列車を引っ張る蒸気機関車は、何か追加したり変更しなくても、そのまま東京から大阪まで列車を引っ張ることもできるだろう。だが社会的な組織は、ひとたび典型的な「日本」であったり「近代的」であったりすれば、ずっとそのままなのである。

They had to be run by Japanese and yet serve an economy that was “Western” and highly technical. Technology can be imported at low cost and with a minimum of cultural risk.

 その組織は日本人によってしか運営されないし、「欧米」仕様や高度に技術的な経済に仕えることはできないのである。一方、テクノロジーは安いコストで輸入できるし、文化的なリスクもほとんどない。

Institutions, by contrast, need cultural roots to grow and to prosper. The Japanese made a deliberate decision a hundred years ago to concentrate their resources on social innovations, and to imitate, import, and adapt technical innovations – with startling success.

 対照的に、組織が発展し、繁栄するには文化的な根っこが必要だ。日本人は100年前に彼らのリソース(資源)を社会の変革に、物マネに、輸入に、そして技術的な変革への適応に一心不乱に集中するという慎重な決定を下した。そして、驚くような成功をものにした。

Indeed, this policy may still be the right one for them. For, as will be discussed in later in this book, what is sometimes half-facetiously called creative imitation is a perfectly respectable and often very successful entrepreneurial strategy.

 実際、この方針は日本人にとっては良かったのかもしれない。後述するが、冗談半分に “創造的模倣” と呼ばれるものは、完全に尊敬すべきものであり、しばし企業家的戦略としてとても有効なのである。

Even if the Japanese now have to move beyond imitating, importing, and adapting other people’s technology and learn to undertake genuine technical innovation of their own, it might be prudent not to underrate them.

 たとえ日本人が模倣や輸入、他人の技術の拝借を超え、天才的な技術的イノベーションを始めることを学んで行かなければならないにせよ、彼らを見くびらないほうが良いだろう。 

Scientific research is in itself a fairly recent “social innovation”. And the Japanese, whenever they have had to do so in the past, have always shown tremendous capacity for such innovation.

 科学研究はそれ自体がかなり最近の “社会的イノベーション” である。そして日本人は、過去のいかなる科学研究においていつも、そのイノベーションにおいて驚くようなの能力を見せてきた。

Above all, they have shown a superior grasp of entrepreneurial strategies.
とりわけ、企業家的戦略に優れた理解を示してきた。
 
“Innovation”, then, is an economic or social rather than a technical term. It can be defined the way J.B Say defined entrepreneurship, as changing the yield of resources.

 “イノベーション”とは従って、技術用語というよりむしろ経済用語、社会用語なのである。  “イノベーション”は経済学者J.B.セイの言うように、『リソース(資源)を用いた生産量の変転』 と定義できる。

Or, as a modern economist would tend to do, it can be defined in demand terms rather than in supply terms, that is, as changing the value and satisfaction obtained from resources by the consumer.

 あるいは、近代経済学者が好むように、“消費者のリソースから得た価値と満足を変える”という意味において、供給用語ではなく需要用語と定義できるであろう。

 (つづく)
  訳: ヒデキ

quintessentially 典型的に、心底から、骨の髄まで
and yet     それなのに、それにも拘わらず
deliberate  よく考えた、熟考した上での、慎重な
startle  驚き
facetiously  ひょうきんに、滑稽に 
 undertake 引き受ける、始める
underrate  見くびる
prudent   分別のある、堅実な
 in itself  それ自体(では)、本質的に
above all なかでも、何にも増して
yield 生産量、収益、配当

 
 ( 引用: Innovation and Entrepreneurship )



posted by ヒデキ at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語のシャワー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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