2013年11月09日

商社マンの仕事 − 世界級ランカーのくず鉄トレーダー (4) 

 【 連載記事は下記のカテゴリー欄よりご覧になれます 】

 ニューヨーク・ヘッドハンティング

 住友商事を辞めてヒューゴ・ニュー社に転職した1981年、いまから29年前の記憶は、いまだにずしっと重い鎖を引きずる。米国住友商事で華々しく鉄屑取引を展開、相場も紙一重とはいえ成功し、英国くず鉄の領域も席巻した。

 アメリカの業界でも、トップレベルのトレーダーとして注目を集めた。ついに鉄屑商社の雄、三井物産の取扱い料をしのぐまでになった。

 当時、ヒューゴ・ニュー社は、すでにシッパー(鉄くず輸出会社)の中でも大手だった。創始者のヒューゴ・ニュー氏はまだ健在、彼の長男のジョン・ニューが営業担当の副社長で日ごろ、いや毎日、住商の私とやり取りしていた。

 1947年、ミスター・ヒューゴ・ニューが40歳で設立して以来、本社はニューヨーク。独立前は当時の代表的世界商社でヨーロッパを席巻していた金属商社、アソシエイテド・メタル社に勤めていた。ヨーロッパから派遣されてニューヨークにオフィスを設立し、米国にアソシエイテドあり、と言われるほどの地位を築く。

 鉄、非鉄金属関係では世界でも1位、2位を築くほどの商社であった。ところが第二次世界大戦前後にナチスの迫害から逃れるためにオーナーの親戚たちがニューヨークに移住し、ヒューゴ氏のビジネスに口をはさむようになる。ヒューゴ・ニュー氏は、それが嫌で独立したそうだ。

 ヒューゴ氏はドイツのハンブルグ出身のユダヤ人だ。彼の記憶力、洞察力、事業意欲、行動力、どれをとっても超一流。私が会ったビジネスマンでもトップレベルである。めったに人を褒めない私だが、彼は超一流の事業家だった。

 もっともこの超一流には泣き所があった。それは、長男のジョンと次男のリチャードを競争させながら育てたこと。ジョンには、ことさら厳しくあたったようで、決してほめなかったそうだ。ヒューゴの経営方針も同じだった。

 徹底的に競争させる。同じ社内の工場同士を競争させる。工場長たちもあからさまに比較して競争させる。ジョンとリチャード兄弟の関係も全く同じだ。厳しい比較と競争にさらされて、相手を猛烈に意識する。

 互いを尊敬しなくなり、最後には互いを認めることもなくなってしまう。その結果がどうなったか?

 1981年、ヒューゴ・ニュー社の事業は、鉄くず部門はすでにアメリカの輸出業界ではトップクラス、海運界でもノルウェーを代表する船会社ベルゲッセン社とのジョイント・ベンチャー(共同出資)で行った船舶への投資がすこぶる好調、さらに第三の事業、不動産部門に力を入れる状況にあった。

 長男のジョンは営業担当で鉄スクラップの売買と新規の事業にてんてこ舞い、弟のリチャードはロサンゼルスの工場長、猫の手も借りたい状態だった。ジョンを電話でつかまえるのは苦労した。当時は留守電などない。相手をつかまえるためには深夜の3時、4時でも電話をかけていた。

 「マスイ、10分だ、ビールでもどうだ?」
ある日の夕方6時過ぎ、突然ジョンから電話がかかってきた。近くのホテル、ワールドーフ・アストリアのバーでそれこそ10分か15分、ビールを1杯飲んで、はいサヨナラ、私は事務所にとんぼ返りする。ジョンのせっかちといったら、せっかち自慢の私でさえ昼寝の牛みたいなもの。

 ジョンはハツカネズミと野生の猿を同居させたような感じで、じっとしてはいない。一度に5つか7つのことをしようとする。2、3件ならまだご愛嬌だが、5つ、7つともなると、相手の感情を傷つける。相手の話を聞きながら新聞を広げたり、雑誌を切り抜いたり。

 そのジョンが、住友商事を辞めてヒューゴ・ニュー社に来いと私を誘いはじめたのは、私が辞める決心をする2年半まえだったろうか。毎回、ビールを飲むたびに誘いの話が出る。当初、住商を辞めてヒューゴ・ニューに転職しないかと誘われたときには、侮辱された思いがした。

  「バカにするな。住友商事は世界的大商社、お前の会社はたかが鉄くずの大手、しかも個人経営ではないか。」と。私の住商への愛社精神はかなりのものだったのだ。

 ジョンは悪びれるどころか、すぐに報酬の話を持ちだす。私が断る最大の理由は報酬が低いから、逆に言えば、どんな人間でも金さえ積めばヘッド・ハントできる、仕事の票かはカネ次第、一所懸命に働くのは金が目的、彼は頭からそう信じていた。

 これが彼の理論、そしてアメリカの理論だろう。わたしにはこれがしゃくにさわった。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 
増井重紀氏 − 住友商事を出発点に、世界最大の鉄くず産出国アメリカで企業経営を17年。動きの激しい鉄くず相場、その針のムシロに悶えながら凄まじい現代鉄クズ戦争を勝ち抜き、ヒューゴ・ニュー・コーポレーションをアメリカ最大の鉄クズ輸出業者に育てた後、現在は新会社を設立。『鉄屑ロマン』 の著者。

 ( 引用: 鉄屑ロマン ) 

posted by ヒデキ at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 商社マンの仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック