2012年08月26日

伝説の商社マン 八尋俊邦、三井物産元社長

  トップが沈痛な顔でどうする 

 ( 日本経済新聞 ”日本の百人” 1985年より )

 無類のゴルフ好き。だがフォームに無頓着で、ボールを打つと決まって足が後ろに下がる。人呼んで 「 明治の大砲 」。友人の新日鉄元社長武田豊にいわせれば 「 大砲どころか種子島の火縄銃 」。

 それでいてスコアはいつも80台というのだから不思議である。

 いうまでもなく三井グループの実力者。商社マンになって45年。功成り名を遂げたというべきだろうが、この間、一度も切れ者、やり手、本命といわれたことはない。

 が、いつの間にか社長、会長と上りつめた。八尋のサラリーマン人生は、さながらそのゴルフのようでもある。

 小学生のころのあだ名が 「 昼あんどん 」。医学生を志し二浪までしたが、ことごとく失敗。医者をあきらめ一橋大から三井物産へ。会社勤めも順風満帆とはいかず、支店の課長をしていたとき、ゴム相場で大穴を開け、ヒラ社員に降格になった。

 同社の主流ともいえる化学製品畑を歩いたものの、役員になったのは定年直前だ。

 「 七転び八起き、といえば聞こえはいいが、実際はそんなものじゃない。浪人生活は灰色だったし、降格のときはもうだめだ、会社をやめようかとも思ったよ。 」 

 「 ネアカ 」 を自任する楽天性と気分転換の巧みさで敗者復活を果たした。
 石油化学会社に日参して亀の甲のイロハから教えを請い、相手に音を上げさせた努力家でもある。

 「 運は向こうからとことこ歩いてはこない 」 

 「 どんな職場、境遇にいてもプロになれ。 」 若い社員に好んで話す言葉に目新しさはないが、挫折体験が説得力を高める。

 「 遅くとも咲くべき花は咲きにけり。 」 33歳で結婚したときに挨拶状にこう書き添えた。 「 晩婚の言い訳ですよ 」 と笑うが、この人の足どりと符合する。

 (1985年当時) 商社冬の時代。加えて、この人をして 「 業のような 」 といわせるIJPC ( イラン・ジャパン石油化学 ) プロジェクトの重荷を背負うが、いつも天気晴朗といった風情を漂わす。

 「 トップが沈痛な顔をしていてどうします。皆の力を引き出すのが仕事なんですよ。 」

 「 商社は今まで重厚長大の一本足で立っていたが、これからは軽薄短小、ニューメディア、業界の垣根を越えたビジネスと何本もの足が必要ということだ。要するに適応力さえあれば商社マンは問題ない。 」 

 「 士魂商才 」 「 下意上達 」 を掲げ、正々堂々たるビジネスを前垂れ精神でやれ、リスクを恐れずチャレンジせよ、と説く。

 「 私はもうオンボロのトンボ ( 旧陸軍練習機 ) みたいなもの。離着陸が一番危ない。だから休みに家でゴロ寝というのはきらいなんだ。 」 

 今年もすでに12回、海外出張に出た。成田に着いても会社に直行、たまった仕事を片付けないと気が済まない。

 典型的な仕事人間だが、手料理で孫たちを喜ばせ、月に一度は歌舞伎を見る。引退したら屋台のおでん屋を開くのが夢とか。マルに八の字を染め抜いた前垂れ、のれんも用意したそうだ。

 ( 引用: 日経新聞、 日本の百人 1985年より )

 【 ネアカ経営論 八尋俊邦 】
 
posted by ヒデキ at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説の商社マン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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