2012年02月05日

伝説の商社マン (8) 丹羽宇一郎、伊藤忠商事 

 伝説の商社マン (8) 丹羽宇一郎、伊藤忠商事 その3 

 ( 前号より続く。連載記事はカテゴリー欄よりご覧になれます )

 伊藤忠アメリカの食料部門で穀物取引の専門家としての時期を過ごしたのち、アメリカからようやく帰国するという時期、じつはニューヨークの某企業に、 「 こっちに残れ 」 と誘われていました。

 給料は今の3倍出し、10年間は保証するという条件のヘッドハンティングでした。正直なところ少し迷いましたが、伊藤忠には育ててもらった恩義があります。ともかく一度、日本に帰ろうと決めたんです。

 それで帰ってみたら、やっぱり日本のほうがいい。お鮨はうまいし、銀座は楽しい。しかも、ニューヨークと違って安全です。ほっとしました。

 30代のほとんどをアメリカで過ごしたことは、いろいろな意味で私の自身につながりました。

 一つは、業界におけるポジションが確固としたものになっていったということです。もちろんかなり勉強し、あちこちの農村地帯をこの目で見てきていますから、そうした知識と経験は誰にも負けません。

 この頃、世界の穀物業界について日経新聞から原稿を頼まれることもありました。帰国してからは、一介の課長であったにもかかわらず、講演に行ったり学者の集まる討論会に参加したりしていました。

 そうのち業界誌に 「 アメリカ農業小史 」 や 「 アメリカ農業風土記 」 などの執筆をするようになり、 「 伊藤忠に丹羽という男がいる 」 と周りからも認めてもらうようになりました。

 ほぼ同時期に、アメリカの知人の書いた 『 シルバー・ウォー 』 という書籍の翻訳も担当し、日経新聞から出しています。銀相場の内幕を描いたものですが、特殊な業界で辞書に出ていない単語も多い。

 わからないところは、出張のときに著者に会って、直接話を聞いたりしていました。結構まじめだったんだと自分でも思います。

 それから、もう一つ自信につながったのは、 「 仕事で体は壊れない 」 というのがわかったことです。ニューヨークにいたときは、それこそ土日も関係なく働いていまし
た。

 普段は朝の5時か6時にヨーロッパからの電話でたたき起こされ、夜は日本を相手に残業つづきです。そんな生活をしていても、体は壊れません。

 実際に体を壊すのは、酒とか麻雀などのアフター・ファイブのほうだと私は思っているんです。私は付き合いで飲みに行くこともしょっちゅうでしたが、酒量はできるだけ自省していました。そうしていれば、どれだけ働いても体はもつんです。


 経営者になってからは、会社を引っ張っていくリーダーとして次のことに腐心しました。

 @ 部下との直接の対話。思いの共有。印象に残らなければ何も言わないのと同じ。全社員の対話集会。声なきは会社に対する反逆。

 A 匿名のEメール制度

 B エキサイティングな会社にするための実績給制度。

 まず @のコミュニケーションですが、私は2001年から全社員総会というものを実施してきました。休日を利用してやるのです。

 全社員総会にしても部会にしてもそうですが、トップに立つ人間は、みんなの前に顔を出すことが大事だと思います。社長の言いたいことは文章なんかで読んだりする以上に、顔をつきあわせた方が感じるものです。

 文章ではうまいこと隠すことはできますが、顔色ひとつから露呈する直接のコミュニケーションの場では、隠しごとなどできません。

 A  匿名のEメール制度は、社内の風通しを良くするために始めました。
社員とのEメールのやりとりは、現場からの提案を素早く経営に反映できるという利点がありました。

 たとえば、伊藤忠では総合商社の中で最も早く、2002年1月から育児・介護支援策を見直し、実現してきましたが、このきっかけとなったのが一通の女子社員からのEメールでした。

 B は、社長に就任した当初の基本方針として 「 エキサイティングな会社にしよう 」 
というのを掲げました。

 エキサイティングな会社とはどんな会社か? まずは儲かっている会社であることです。そして次に 「 儲かった分を分配してくれる会社 」 です。したがって、1999年から新しい人事制度を導入しました。

 年収のうち、一定部分を固定給 ( 月給 ) にして、残りを変動給 ( ボーナス ) にして、成果と実績に応じて支払うという形です。

 責任の重い人ほど変動給の比率を高くして、儲かれば変動給は2倍になるし、損すればゼロということもありえます。

 ところが新しい人事制度を導入したらあまりにも給料に差がつきすぎてしまって大きな問題になりました。制度上、わずかな利益でも評価しなきゃいけない部署もあるし、いろんな状況を加味したら大損する人も出てきました。

 そうなると能力にはほとんど差はないのに、同期でも1千万円近く差がついてしまったんです。

 もっとも、私としては固定給の500万さえあれば、変動給はたとえゼロでも生活は困らないと思っていました。

 ところが最近の若い人というのは違うんです。1千万円の年収があると、そのレベルで生活設計をしてしまう。変動給がないともう生活していけないと言うのです。

 よくよく話を聞いてみたら、都心の高級マンションにBMW。私がカローラに乗っているのに30代でBMW?

 それはお前、いくら何でもおかしいだろう。いったい奥さんはどんな生活しているんだ。金で着飾っているのか?

 いや、でも子供を学習塾に通わせなくてはいけないと社員は言う。そんなもの、塾に通わせなくたって死にはしません。

 そういう人は、たいてい 「 会社を辞めて2千万円の給料をくれる会社に行く。 」 と言います。確かに今は2千万円くれるかもしれませんが、業績が悪くなったらあっと言う間にクビです。

 どっちみちまた転職だ。よほど運のいいやつの話を聞きかじっている。

 「 お前、謙虚につつましやかに生きるのが人生だ。 」 と説教しましたが無駄でした。

 ただ、繰り返しになりますが、仕事をしていく上では、人は2種類の報酬を受け取ります。ひとつは見える報酬、そしてもう一つが見えざる報酬、つまり自分の成長や経験値です。

 人は、仕事によって磨かれる。仕事で悩み、苦しむからこそ人間的に立派になるんです。だから、 「 こんなつらいことやらされて 」 とゴチャゴチャ不満を言う前に、それを与えられたことを喜ぶべきなんです。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 

  2000年3月期は単体で1630億円の赤字を計上して、無配でした。そのケジメをつける意味で、私は 「 当面、ただ働きする 」 と宣言しました。先期も無配で報酬カットを行っていましたから、これ以上ケジメをつけるとしたら無配しかなかったわけです。

 役員からは 「 我々も給料を返上する 」 という声が上がりましたが、これは気持ちだけ受け取って、私のみが無報酬としました。

 全員が横並びで給与返上とやったら、責任の所在もあいまいになる。また、彼らにも家族がいます。

 トップというのは、会社が苦しいときは真っ先に苦しみ、順調なときは最後にいい思いをする。そういうものだと思います。

 ただ一つ失敗したのは税金のことです。だいたい私は普段からいくら給料をもらっているか知らないし、興味もない。ワイフに任せきりです。

 だから、前年の所得によって税金が引かれるなどということも、考慮していなかった。
これは迂闊でした。給料を返上したうえ、さらに税金まで払わなくてはいけないわけですから。ワイフもさすがに呆れてやりくりしていました。

 もっとも、業績が上回ったら報酬はしっかりいただきますと言っていたので、実際に2000年7月から3か月で無給期間は終了しました。

 翌年は、連結で純利益705億円の過去最高益を達成しました。財務体質が改善されたことに加え、伊藤忠テクノサイエンスの上場に伴う売却益が大きかった。これは非常に運が良かったということでしょう。

 それから、さらに不良資産を洗い出したんです。本当にもう机の中に損をしまっていないかどうか。

 「 最後のバスが出るぞ。バスに乗り遅れたやつは一切面倒をみない。 」 という最後通告を出しました。すると、 「 じつはバスに乗れなかった 」 という不良資産が出てきて、2002年3月期にはそれをまた焼却しました。

 この後、時価会計制度への対応に向けて動き始めたのです。

 いずれにしても、私には 「 掃除屋 」 という言葉がぴったりです。もし、もう一度、数千億円の不良資産の償却という難題を突きつけられたら、やはり相当悩むと思います。

 自分ひとりのことだったらそれほど考えませんが、家族や社員、伊藤忠の歴史を築いてきた先輩にどれだけ迷惑をかけることになるのか。それが自分の決断ひとつで決まってしまうことの怖さ。どれだけ悩んでもなかなか結論の出るものではありません。

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 その後の丹羽宇一郎氏 − 2010年6月、中国大使に就任

 日本郵政、NHK、日本航空、改革が求められる公益企業や団体のトップ候補に何度となく名前が挙がってきた。 「 伊藤忠に骨をうずめたい 」 と距離を置いてきた経営者が、民主党政権の要請を引き受けた。

 心境が変化した理由は 「 世代交代 」。 2010年4月に伊藤忠商事の社長に就任した岡藤正広氏は一回り年下の60歳。

 「 企業は若いやつに任せればいい。最後は国のため、社会のためになる仕事をしたい。 」 

 入社以来、食料部門一筋に歩んだ。米国の大豆取引で大失敗をしかけた際、上司から 
「 包み隠さず報告しよう 」 と諭された。

 社長だった2000年3月には社内の反対を押し切って不動産などで4500億円もの巨額損失を一括計上。翌年のV字回復につなげた。

 歯に衣着せぬ物言いで知られる。2010年3月まで務めた内閣府の地方分権改革推進委員会の委員長職では、 「 分権委員会の勧告が骨抜き同然 」 と官僚を厳しく批判。

 伊藤忠は中国の投資残高が約1200億円と商社で最多だが、自身は駐在経験がない。大使はさまざまな経済交渉にもかかわるだけに、公正さが求められる。

 読書家で、儒教が説く 「 温 ( 人としての温かみ ) 」 や 「 良 ( 人の美しさ、正直さ ) 」 をリーダーの条件と心得てきた。その真価が試される。




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posted by ヒデキ at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説の商社マン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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