2011年12月27日

伝説の商社マン (7) 丹羽宇一郎、伊藤忠商事

 伊藤忠商事元会長、現: 中国大使の丹羽宇一郎氏の伝記をお届けします。最高峰をきわめたビジネスマンの哲学が学べます。

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 私が担当していたのは食料部門の大豆で、アメリカ大豆と中国大豆が中心でした。当時、日本の輸入は農産物が圧倒的に多かったのです。特にアメリカ大豆は年間で200万トン強、日本全体の輸入品の1、2位を占めていました。

 大豆は食料としてだけでなく、搾油や家畜飼料としての用途もあります。伊藤忠商事は業界で1、2位を争うシェアを占めていました。お客さんにも恵まれて、早朝から豆腐屋さんへ行って豆腐や油揚げの作り方を勉強させてもらったり、問屋さんに豆の見分け方を教わったりもしました。

 1968年からアメリカに駐在し、ベトナム戦争と黒人の人権を訴えた公民権運動、ケネディ大統領の暗殺から為替変動幅を広げるスミソニアン体制の発足と、激動のさなかで厳しい経済情勢を経験しました。とはいえ、伊藤忠アメリカの売上高のうち、約4分の1は私の担当していた大豆でした。

 輸出の主力相手国は日本でしたが、ノルウェーやデンマーク、ドイツ、オランダなどにもアメリカ産大豆を輸出して、三国間貿易 ( 日本を介さず、海外から海外へとモノを売って、稼いだ富を日本に持ち帰るビジネス ) を担っていました。

 ノルウェーには一つの大搾油工場があり、そこには一隻約1万4千トンの大豆を、年間で17隻くらい買い付けました。伊藤忠がノルウェー一国の必要な大豆を全部調達していました。

 ヨーロッパとは6〜7時間の時差がありますから、毎朝だいたい6時くらいに仕事の電話で起こされます。会社に向かう前に家で一仕事するのです。

 会社に行くと、今度は日本からテレックスで仕事が入ってきます。それを片付けているうちにシカゴの穀物取引所がオープンしますから、もう一日が戦争状態です。

 大豆は、米中西部の穀倉地帯、シカゴで買い付けます。もちろん買ったら終わりではなく、今度は運搬の手配にはいりますが、これには2つの方法があります。

 一つは世界を代表する穀物メジャー ( カーギル、ブンゲ、コンチネンタル・グレインなどの穀物商社 ) を使って流通経路を確保するもの。農家から港までの運搬、船の手配、船積み作業から輸出までの一連の流れを、穀物メジャーと話をして金額を決めていくケース。

 もう一つは、自分で船を買ってすべて自前で行う方法です。

  いずれにしても、穀物メジャーはCIAよりも情報網を持っていましたから、彼らとの付き合いは欠かせません。カーギルの本社のあるミネアポリスに行ったり、彼らの家庭に招待されたり、非常にいいお付き合いをさせていただきました。

 また、シカゴとニューヨークにも1時間の時差があり、シカゴの穀物取引所が終了するのはニューヨーク時間の午後2時15分でした。それからたいてい近所の食堂に行ってフランクフルト・ソーセージとビールで昼食をとる。

 ときどき、船を待つ販売会社の連中と飲みに行ったりしていましたが、夜になると私はオフィスに戻り、酔っぱらいながら日本にテレックスを打電していました。土日も出勤していましたから、東京本社の同僚が 「 あいつは体を壊すんじゃないか 」 と心配していたようです。

 当時の私はゴルフなんて亡国の遊びと思っていましたから、休日にゴルフもしない。見るに見かねて、日本からアシスタントを送ってくれました。その哀れな若手社員をこき使って、アメリカ大豆の輸出入を一手に担っていたというわけです。

 そんなニューヨークの駐在生活が5,6年したころ、私は穀物相場で400万〜500万ドル ( 当時の約15億円 ) の損失を出してしまいました。その年は干ばつが続いていたため、大豆の価格が高騰すると確信してどんどん買い込んでいたんです。

 ところが雨が降って一転、大豆は大豊作になると予想が出て、相場は一気に暴落です。 

 相場の世界は一所懸命やっているからといって結果が良くなるとは限らない、非情な世界です。 「 努力しました 」 ごっこをやっているわけではないのです。

 人一倍働いて、努力もしていただけに、挫折感もより一層大きなものでした。人の非情さ、自分の弱さを嫌というほど味わいました。温かく声をかけてくれる人もいれば、急によそよそしくなる人もいる。針のむしろのような状態で、会社をクビになることも考えました。

 この世には、神も仏もいないのか? そんな思いを抱えていました。

 そんなとき、 「 一切隠し事はするな! すべて会社に報告しろ。 」

「 お前がクビになるならその前に俺がクビになる 」 と、涙が出るようなことを言ってくれたのが、東京本社、食料部門の上司、筒井さんでした。彼が本社からの叱責の矢面に立ってくれていたんです。

 彼の信念は、 
 「 上司にも部下にも取引先にも妻にもウソはつかない。 」 というものでした。

 私が経営者として、 “ 清く、正しく、美しく ” にこだわり、口を酸っぱくして伊藤忠の商社マンに説教するはこの上司のおかげです。

 その後は、必死になって情報を集めました。まだ含み損の段階でしたから、挽回するチャンスはありました。民間の天気予報会社と契約し、客観的なデータを重ねて穀物相場を占いました。

 そこで、その年は秋口に霜が降りるということが分かり、その霜に賭けた。実際に寒波がやってきて、相場は急騰。含み損はみごとに帳消すことができました。

 私は無神論者ですが、このときばかりは神の存在を信じました。なるほど誰かが自分の努力を見ている。

 “ 努力する人間を、社会は放っておかない ” と実感したのはこのときです。

 もちろん、客観的にデータ分析をしていたわけですから、含み損を取り戻せたのは当然の帰結かもしれませんが、しかし人間の心は弱いものです。

 「 神も仏もいないの! 」 と思うほどの苦労を味わったとき、さらに努力を重ねるのは並大抵のことではありません。

 そんなとき、宗教を信じるかどうかは別として、誰かが必ず見ていると思って努力を続けたほうが、自分の心を納得させやすいのは事実でしょう。生きていくうえで、そう考えた方が説明のつくこともあります。

 私の解釈を言えば、 “ 神とは自分以外のすべて ” です。
すべての人が自分を見ている。そう信じて一生懸命やっていくことで、人間は強くなると思います。

         ( つづく )


posted by ヒデキ at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説の商社マン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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