2009年08月14日

伊藤忠商事の歴史

 近江商人である創業者の伊藤忠兵衛が、1858年(安政5年)に滋賀県の彦根から九州へと呉服反物の持ちくだり商人として店を始めたのが源流。
 以降、繊維商社として成長した伊藤忠は、太平洋戦争後の1949年に、。過度経済力集中排除法によって大建産業の商事部門が、伊藤忠商事と丸紅に分かれた。
 
 戦後、シベリアに抑留されていた元陸軍大佐で、旧日本軍の参謀役として作戦立案を担っていた瀬島竜三氏が伊藤忠商事に入社し、参謀役として繊維商社から総合商社へのかじ取りを担い、1960年代から70年代にかけて機械や金属部門に注力するようになる。

 特に世間から注目を集めたのは1971年に当時世界最大だったGMといすず自動車との提携を成功させたこと。また、ヒューズなどとの提携による日本サテライトシステムズをはじめとして衛星通信関連事業への進出や、タイム・ワーナー、東芝との連携による情報・コンテンツ産業への挑戦が明確になった。

 リスクを取り、業界の先陣を切って新分野を開拓する例も多く、中国で最初の傘型企業(統括会社)を設立する一方で、アサヒビールやイトーヨーカ堂との合弁事業を含めて中国での投資事業は数百件に達する。

 1977年には、世間から注目された旧安宅産業を合併し、鉄鋼部門を強化させ、新日鉄との取引を広げた。

 こうしたバイタリティと先見性に満ちた伊藤忠が、裏目に出ることもあり、バブル期には不動産関連事業に深く関わり、大きな損失を出した。

 その後、丹羽宇一朗社長が、90年代に抱えていた多額の含み損を一気に処理し、2001年3月期決算では過去最高の705億円の黒字を計上するまでに回復させた。
 
posted by ヒデキ at 23:40| Comment(1) | 伊藤忠商事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
やみくもに投書しています。
国際特許申請中の化石燃料を使用しないで光り続ける道路規制線や表示物に使用する塗料を世界に広めたいのですが、関心はありませんか。当社だけの発明品です。試験施工は終わり、普及させる段階です。関心があれば連絡ください。
Posted by 清水茂夫 at 2014年08月16日 18:05
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