2019年05月19日

ゴールドマン・サックス証券(2) 終わりのない面接試験 

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 1位 銀行、2位 証券会社、3位 資産運用会社と序列がならんでいた日本と違い、欧米では1位 投資銀行(証券会社)、2位 資産運用会社、3位 商業銀行と序列が出来上がっていた。中でもメリルリンチ、モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックスの3社がウォール街の頂点を成していた。

 証券会社と銀行とでは収入も格段と違い、90年にサンディ・ワイル会長率いるトラベラーズグループがシティバンクと合併した時には、証券会社出身のサンディ・ワイル会長の年収が100億円を超えていたのに対し、商業銀行だったシティバンクのジョン・リード会長のそれは20億円超と、露骨に差が出ていた。

 アメリカでは80年代までソロモン・ブラザーズという債券トレーディングで名を馳せた証券会社がウォール街の頂点に君臨していたのが、2000年になる頃には急拡大を遂げていたゴールドマン・サックス、モルガンスタンレーが頂点を占めるようになっていた。

 日本では、外資系銀行や証券が87年から数10人単位で新卒採用を始め、マネックス証券を立ち上げた松本大(おおき)氏もその中の一人だった。

 なぜゴールドマンに憧れたかと言うと、その実力振りと高名なところも去ることながら、当時松本大氏がゴールドマンを辞して一からマネックス証券を立ち上げたニュースが盛んに報道されていたことが大きい。

 東大法学部から新卒でソロモン・ブラザーズ・アジア証券に入社した松本大氏がその後、ゴールドマン・サックス証券に転じ、わずか30歳にしてシニアパートナーに昇格し、ゴールドマンの創業者と同じ年齢で、しかも非英語圏から共同経営者に昇格した。

 その後、99年にゴールドマンが株式を公開した時まで勤めていれば数十億円の創業者利得が得られたのにも拘らず、直前に会社を辞め、その後の金融取引の主軸となるネット証券を立ち上げたのだから周りを唖然とさせた。

 "年にしたら自分とわずか2歳違いにも拘らず金融界の若き天才がいる!
 若いうちから自分の才能に枠をはめてどうする! "

 ”すべからく夢は追うべし!” と、情熱をもっていそいそとゴールドマンの面接試験に出かけて行った。
 今は六本木ヒルズの最上階にオフィスを構えているが、当時は赤坂アークヒルズに10フロアを借りていた。

 高収入に、マホガニー色でかたどられた優雅なオフィス、一人一人のデスクがキュービクル形式で作られ、英語が飛び交い、扱う金額は桁違い。

 金髪の外国人があちこちにいて、内外の大学院でMBA(経営学修士)や弁護士、CPA(公認会計士)を取ったプロフェッショナルがそこら中にたむろするインテリの会社、そして高価な綿100%のワイシャツを身にまとった社員の背中からは、焼け付くような緊張感が滲み出していた。。

 「田舎者で、頭も学歴もまったく冴えない自分が、ここにいる金融マンの中でやっていけるのだろうか!?」
 「日東駒専の出身者なんて、200%いそうもないな。。
大丈夫かな?」

 あたかもタイの山奥、チェンマイからデイパックを背中にしょって、生まれて初めてニューヨークのブロードウェイにやってきたおのぼりさんのような僕は、周りを見渡して、不安な気持ちに駆られた。
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 【 ユダヤの商法 藤田田、日本マクドナルドの生みの親 】

posted by ヒデキ at 23:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする